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『シェルブールの雨傘』 [あらすじ]

『シェルブールの雨傘』 これはジャック・ドゥミー監督による映画のシナリオ本である。物語はノルマンディー半島の最先端にある小さな軍港・漁港が舞台である。ヒロインのジュヌヴィエーヴはかっての売れっ子女優カトリーヌ・ドヌーブが演じている。
 夫の死後、女手一つで傘屋を開いているエムリー婦人の一人娘ジュヌヴィエーヴは自動車修理工場で働いている青年ギー・フーシェと知り合い恋仲になるが、母親は二人の結婚に反対している。
 多額の税金を払えなくなったエムリー婦人は宝石屋に手持ちの宝石を売りに行き、そこで知り合ったローラン・カサールに娘を嫁がせようとする。
 そんな母親に反発したジュヌヴィエーヴはギーと駆け落ちまで考えるが、ギーに召集令状がきて、二人は別れ別れになる。
 ジュヌヴィエーヴは出征前夜を一緒に過ごして妊娠しているが、戦地アルジェリアからの便りは途絶えがちになる。そんな事情を知らないカサールは婦人にジュヌヴィエーヴとの結婚を申し込む。
 ジュヌヴィエーヴはギーのことが忘れられずに悩むが、妊娠していることを承知の上で、結婚の意志を固めるカサールとの結婚を母親に勧められて、ジュヌヴィエーヴは結婚を承諾しパリへ行く。
 そんな折、足に負傷して帰還したギーは、再びもとの自動車修理工場で働き始めるが、ジュヌヴィエーヴを失った心の傷は大きく、生活は乱れ、酒と女にうさを忘れるようになり、職も失ってしまう。
 そんな折、自分を実の子供のように育ててくれた名づけ親のエリーズが亡くなってしまう。ギーはエリーズの面倒をみてくれていた気立ての優しい娘マドレーヌと結婚し、エリーズの残してくれた遺産をもとにガソリンスタンドを経営するようになる。
 クリスマスの晩、妻のマドレーヌと息子がプレゼントを買いに出かけた留守に、何年かぶりにシェルブールを訪れたジュヌヴィエーヴが偶然ギーのスタンドに立ち寄る。クルマの中に居る子供に会ってみないかというジュヌヴィエーヴに、ギーはただ首を横に振る。ジュヌヴィエーヴが雪の中を去って行くと、妻と息子が帰って来て、ギーとともに雪の中でたわむれる。
 すれ違いから生じる人生の悲劇を切り取ったドラマである。

『レ・ミゼラブル』 [あらすじ]

「レ・ミゼラブル」 飢えに泣く幼い甥や姪のために一片のパンを盗んで逮捕・投獄を命じられたジャン・バルジャンは、19年を刑務所で過ごし、46歳になってやっと釈放される。惨めな旅人に家々の人は扉を閉ざす。慈悲深い司教ミリエルは彼を人間としてもてなすが、投獄期間中に悪を身につけたジャン・バルジャンは世話になった司教の銀器を盗む。しかし司教はこれを許し贈り物として彼にこれを与える。
 これをきっかけにジャン・バルジャンは回心し善と徳の道へと向かうようになる。ジャン・バルジャンは名を変え北部フランスに住みつき、町の発展に尽力し、人望を集めて市長にまでなる。しかしこの時代前科者は社会復帰を認められていない。昔のジャン・バルジャンを知っている冷酷無情な警部ジャベールは彼に疑いをかける。
 折から他の町でジャン・バルジャンとして捕らえられた男があり、これを知った本物のジャン・バルジャンは一夜の苦悩の末、裁判中のところへ駆け込み、自分の正体を告白してその男を救う。
 財産を隠したあと、再び受刑者となる。しかし逃亡し、かって市長時代に薄幸の女ファンチーヌに死の床で約束した誓いを守り、人でなしのテナルディエ夫婦に預けられていて、そこで惨めな幼少期を過ごしていたファンチーヌの娘コゼットを救いだす。
 パリに出てコゼットと暮らすうち、はじめて愛すべき「子」を得た思いでその心は人間としてさらに成長する。
 しかし警部ジャベールの追求はここにも伸び、二人はある僧院に身をひそめ暮らす。ここでコゼットは美しい娘に成長し、やがて僧院を出て、散歩の途中出合った青年マリウスと恋いに落ち二人は恋い心を燃やす。それを知ってジャン・バルジャンは嫉妬に悩む。
 そんな折共和派の反乱がおこり(1832)マリウスはそれに加わる。警部ジャベーは反乱軍にスパイとして捕らえられているが、バリケードのところへ駆けつけていたジャン・バルジャンは彼を逃がしてやる。同時に傷ついていたマリウスとコゼットも嫉妬にかられながら地下道を通って救いだす。そこの出口で再度出合ったジャベールは彼らの逃亡を助けたあとセーヌ河に身を投げて自殺する。
 傷の癒えたマリウスはコゼットと結婚する。一方ジャン・バルジャンは取り残され衰弱してゆくが、彼の正義と慈愛の心を知ったマリウスはコゼットとともにジャン・バルジャンを訪れ、二人の愛に包まれてジャン・バルジャンは息を引き取る。その枕辺には、かってミリエル司教からもらった銀の燭台がともさえていた。

『婚礼』<カミュ [あらすじ]

『婚礼』あらすじ<カミュ
 1935・6年頃に書かれ、1938年にアルジェの友人が経営している小さな書店から小部数発行された初期エッセイ集である。「チパザの婚礼」・「ジェミラの風」・「アルジェの夏」・「砂漠」の4編からなる。カミュが『異邦人』を書いて有名になるまで埋もれていたが、『異邦人』愛読者や研究者から再販の強い要望があり、1958年にガリマール社から復刊されものである。後のカミュ文学のエッセンスが凝縮されているといわれている。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
 第一篇はNoces à Tipasa「チパザの婚礼」と題されたものだ。Tipasaとは首都アルジェから地中海沿いに西へ約70キロほど行ったところの古代ローマの廃墟の名である。カミュはここへ学生時代に友人と何度か訪れ、その時の印象を詩的な情感を込めて綴った。この一つが「チパザの婚礼」だがいわゆる「結婚」MariageではなくNocesとしたのは、大地(自然)と人間の合体を「謳う」というようなニュアンスがあるので、あえてこの語を使ったのだろう。物語の短編ではなくエッセイなので、要約の仕様もない。全体が詩的散文ともいえる小品になっている。
 出だしは、「春、チパザには神々が住む。太陽とアプサントの匂い、銀を鎧った海、真っ青な海、花々に覆われた廃墟、積み重なる石にほとばしるように注ぐ光」。
 中頃の昂揚した部分では、「私は無性にこの生を愛し、自由にこれを語りたい。この生は私に人間の条件の誇りを与える。然るに他人(ヒト)は私によくいう、誇るに足るものは何もないのだと。否、誇りにたるものは確かにある。この太陽、この海、若さに踊りあがるこの心、塩味のするこの肉体、優しさと栄光とが黄と青との会い合うところのこの壮大な背景」。
 最後あたりでは、「大切なものは、ただ調和であり、沈黙であり、それは世界から私へと向かう愛を生みだすものだ」という文言が据えられている。
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 第二編はLe Vent à Djemila「ジェミラの風」と題されている。Tipasaはアルジェから西に位置したところだが、ジェミラはアルジェから東の方角で地中海から100キロほど内陸にあり、やはりここも古代ローマの廃墟である。「チパザの婚礼」が生の昂揚を高らかに謳ったものとすれば、「ジェミラの風」には反転して死の影がつきまとう。私はTipasaへは行ったが、Djemilaへは行けなかったのでその地形がよくわからない。Tipasaは海に面した開放的な空間だったが、こちらはどうも閉鎖的な場所であるらしい。
 「精神それ自身の否定という一つの真理を生むために、精神の死の場所がある」というのが出だしの文言だ。続いて「この街はどこへも通ぜず、いかなる国へも向いていない。これはゆきどまりの街だ。死せる街は曲がりくねった長い道の果て」にある。
 だが若いカミュの精神は死の前でへたってはいない。「死がもう一つの生を開くという信仰は私の気にいらぬ。私に言わせれば、死は閉じた扉だ。踏み越えねばならない一歩だとは言わない。むしろ恐ろしく不潔な事件だ」となる。
さらに「この厳しい死との対面、太陽を愛するこの肉体的な恐怖。・・・・文明の真の唯一の進歩とは、意識された死を造ることだ」と死から生へと反転がなされる。そして「死に対するわが恐怖は、生に対する羨望に繋がることを、私は悟る」となる。
 当時カミュは結核と診断され、治療に専念していたが、絶えず死に直面した精神状態で「いかに死から生へ反転する精神的なもの」を獲得するか、もがいていた様子がこの短編からも窺がえるところである。
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 第三編は一転してカミュの生地アルジェ及びアルジェ人についての赤裸々な紹介文のような作品だ。
 「何かを学び、自己を教育し、乃至はよりよくなろうと欲する人のためには、ここには何一つ役立つものはない。この邦は何の訓えもない。この邦は約束もしないし、仄めかしもしない。この邦は与えることに、しかもふんだんに与えることに満足する。・・・この邦の要求するものは、明識あるすなわち慰めなき魂である。人が信仰の行為をなすが如く智識をもって振舞うことを要求する。自らが養う人間に向かって、同時にその魅惑と悲惨とを示すところのこの奇妙な風土。・・・身を寄せる何ものもなく、また憂愁に気を紛らす場所ひとつない。他の邦ならば、イタリアのテラス、ヨーロッパの修道院、あるいはプヴァンスの丘々など------人間がその人間性を逃れさせ、自分自身に甘えながら解放される場所がある」という。
 ジイドの「肉体を賞揚するその仕方」を批判し(「地に糧」などのことであろう)、友人の例を引き合いにだしてアルジェ人の解放的な特徴を次ぎのように言う。
 「わが友ヴァンサンは桶屋でジュニア級の平泳ぎの選手だが、もっと明快な見識を持っている。彼は喉が渇くと飲み、女を欲すれば、共に寝る。女を愛するなら結婚するだろう(まだこんなことにはならないが)。「これでいい」と彼はいつも言う。----この言葉は、充足についてなし得べきアポロジーを力強く要約するものだろう」。
 アルジェの風土についてしばらく描写した中に次のような文言が嵌め込まれている。「しばらくこの邦から離れていると、私はアルジェの黄昏を幸福の約束のように想い描く」。
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 この段落ではアルジェ人のモラルについて述べられている。
 「道徳はあるが極めて特殊なものだ。人はその母親に<背かない>、街ではその妻を尊敬せしめる。妊婦には敬意をはらう、一人の敵に対しては二人ではかからない。<それは卑怯になるからだ>。こうした基本的な掟を守らぬものは、<人間ではない>」。
 「アルジェの日曜日は最も陰鬱なものだ」と述べたあと、「この宗教なく、偶像なき民は、群れをなして生きたのち、ただ一人で死ぬ」という。
 死と生の価値が密接に結びついていることを述べたあとで次のようなエピソードを披露している。
 「アルジェの葬儀人が空で送ってゆくとき、よくこんな冗談をあやる------道に行き会うかわいい娘たちに向かって「姐さん、乗るかい?」と呼びかけるのだ。困ったものだとしても、そこには一つの象徴を見ることを妨げる何もない。・・・ここでは一切が、生へと誘う邦で死ぬことの恐怖を呼吸している。・・・かかる民は万人から受け入れられることはない。私はこれをよく承知している。知性はイタアリアのようにその地位を持たない。その種族は精神には無関心だ。・・・これは過去がなく、伝統なき民ではあるが、詩がないわけではない。・・・文明の民とは対照的に、これは創造の民だ。・・・自己の現在の中に全的に身をひたしている民は、神話もなく慰安もなしに生きる。・・・この空と、空へ向けられたこれらの顔との間には、一つの神話学、一つの文学、一つの理論ないし宗教がひっかかるようななにものもない」。
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 このパラグラフではアルジェリアの厳しい自然環境が天上的なものを志向するのではなく限界のある生の中での生き方を示唆している。幾つかカミュの思想を表現していると思われるフレイズを拾ってみよう。
 「超人的な幸福というものもないし、日々の曲線の外に永遠があるわけでもない」
 希望という語について世間一般の人が常識的に理解している意味とは全く異なるカミュ的見解を述べている。少しながくなるが引用しておこう。
 「人類の諸悪が蠢いているパンドラの箱から、ギリシャ人は、あらゆるものの一番あとから、希望を飛び出させた。最も恐るべきものとして、これほど感動的な象徴を私は知らない。思うに、希望とは、普通信じられるところとは反対に、諦念に等しいからだ。そして生きるとは諦めないことだ。ここに少なくともアルジェリアの夏の厳しい訓えがある。」
 カミュがあの世の天上的幸福を願うのではなく、あくまでも現世的な生き方を考えているかを示す重要なところだと思う。のちの『シジフォスの神話』を予告して重要なフレイズである。
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 第四編は「砂漠」と題され、大学時代の恩師ジャン・グルニエに捧げられている。テーマは人生の現実を砂漠に譬えたのだろうが、先ずはイタリアの古の画家ジョットーやピエロ・デルラ・フランチェスカを讃える。「永遠の線のうちに凝った顔から、画家は永劫に精神の呪詛を解放した。・・・肉体は希望を知らないからだ」ということらしい。
 前節で希望という言葉はカミュにとって常識的な解釈とは真逆の諦念ということになるからだ。希望とは「無いかも知れない」未来を想像し現在を否定するからである。カミュにとって現在「いまここ」が重要なのである。「大地と人間との共鳴、それによって、人間は大地とひとしく、悲惨と愛との半途に自己を決定する」。
 「恋いのために死ぬほど無駄なことはない。生けるロレンゾは地下のロメオに勝る」というフレーズも見られる。「肉体と瞬間との二つの真実、どうしてそこにかじりつかずにいられよう」とも述べている。
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「最も忌むべきマテリアリズムは、ひとの信ずるところのもではなく、まさにわれわれに向かって、死せる観念を生ける現実と見せかけるもの、われわれのうちに永劫に死すべきものに対してわれわれの抱く執拗にして賢い注意をば、不毛な神話の方へと振り向けるものだ」ではじまるこのパラグラフは、厳しく生と死の現実を見つめている。花咲く現実と隣あわせにある死。フィエゾールのフランチェスコ派修道院での印象を次ぎのように記す。「一隅に、緑色の如露があった。来る前に、私は修道士の小部屋を訪れ、髑髏のついた備えつけの小机を見た。・・・列柱と花々との間に閉じこもったあのフランチェスコ派の生活と、一年を通じて陽光の下に過ごす、アルジェのパドバニの浜の青年たちの生活との中に、私は一つの共鳴を感じた。彼らが身を裸にするのは、より大いなる生のためなのだ(もう一つのあの世のためではない」。
 アルジェという過酷な自然環境の中で生きる人々を描いたあと「自らを成就せしめる神を持たぬ知性は、自らを否定するものの中に神を求める」という。
 「一つの存在とそれが営む生活との間の単純な調和でないとしたら、いったい幸福とは何あろう」と述べたあと、「フィエゾール、ジェミラ、太陽の中の港々、人間の尺度というか?沈黙と死せる石、他の一切はお話だ」とこのパラグラフを結ぶ。
 ж ж ж ж
 このフレーズではフィレンツェのポポリの苑の高みに立った時の感慨を述べている。要するに幸福とはこの世(現世)にしかないことの確認ともいえるだろうか。
 「私の愛とこの美しい石の叫びなくしては一切は虚しいと。世界は美しい。そして世界をよそにして、永劫の福祉はない」。
               ж ж ж ж
 「砂漠」の項では「未来に飛躍することなしに」現世の幸福を追求するというのがテーマだが、最後のこのパラグラフでもそのことを再度確認していると言える。「霊性が道徳を拒否し、期待の欠如から幸福が生まれ、精神が肉体のうちに自らの理由を見出す微妙な瞬間」に留まらねばならないという。パラグラフの最後の方で「私は讃えるだろう、私は讃える、人間を世界へと結ぶこの絆を」という文言が目をひくところだ。







『初雪』<モーパッサン [あらすじ]

『初雪』<モーパッサン
 南仏カンヌ周辺の海や山の描写がされている。
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 クロワゼットの長い散歩歩道が青い海に沿ってゆるやかに弧を描いている。遥か右の方にはエステレルの山々が遠くの海の中に伸びて水平線を限っている。
 左の方にはサント=マルグリット、及びサン=トノラの二つの島が海の上に浮かんでいる。広い湾や山々に沿って至るところ白亜の山荘が太陽の下に眠っているように見える。
 水際に近い家の門は波が洗ってゆく散歩道に面して開かれている。冬の生暖かい一日のことである。婦人たちは子どもが遊んでいるのを見つつ、男たちと話しをしながら砂の上を歩いている。
 クロワゼットの通りに向いた門をあけて、小さな洒落た家から若い婦人が姿を見せた。海に向いた空のベンチの方へ20歩ほど歩いて行き疲れた様子で喘ぐようにして腰を降ろした。蒼ざめた顔はまるで死人のように見える。透き通った指を唇に当てた。彼女はツバメが飛び交っているのや、青空や、遥かな山々や、美しい海を眺めるのであった。彼女はニッコリとして「おう!私は何と幸福であろう」と呟いた。
 けれども彼女はやがて自分が死んでゆくことを、ふたたび春をみることはないだろうことを知っている。経帷子に身をつつんで骨だけになっていることであろう。
 彼女はもはやこの世にはいないのだ。永遠に終わっているのである。蝕まれた肺に花園の香気を吸い込もうとするのであった。彼女の思い出が手繰られる。
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 彼女がノルンデイーの貴族と結婚させられたのは四年前のことだった。相手は逞しい若者だった。二人が結婚したのは財産上の理由からだった。彼女はNonと言いたかったのだがOuiと言った。
 夫は彼女をつれてノルンデイーの城館へ帰った。馬車から降りて「まぁ陰気なところですこと」と言った。やがて孤独な生活が続く。彼女は快活な生活を楽しむパリジェンヌだっただが。
 夫は「退屈したことはない」と言い、二人は接吻に時を過ごした。こうした状態が一週間続いた。それから妻は家事に専念した。
 季節は夏であった。彼女は取り入れを見るために野原を歩きまわった。心もうきうきしていた。
 秋が訪れて、夫は狩りを始めだした。二匹の犬を連れて行ったが、この犬たちは帰ってくると彼女の愛情に溺れた。夫は決まりのように狩りの話を物語るのだった。
 冬が来た。雨の多いノルマンディーの冬である。鴉の群れが来てまた去って行った。4時頃になるとその鳥の群れは楓の枝に真っ黒になって動いている。来る夜も来る夜も彼女はそれを眺めた。夜の寂しさが身に浸みた。人を呼んで暖炉に火を入れさせたが、暖まらなかった。彼女はいたるところで寒がった。夫は狩りか畑仕事で夕食の時にしか帰ってこなかった。
 夫は嬉しそうにうきうきとして帰って来るのだった。彼は幸福で健康で無欲だった。
 12月になって雪が降るようになって、彼女は屋敷の凍るような空気に耐え難いほど辛かった。ある晩彼女は夫に「この家に暖房装置が欲しい」と希望を打ち明けた。
 夫は彼女の希望に茫然とした。そして「この家に暖房装置だって、茶番だ」と言って笑い飛ばした。彼女は抵抗したが、夫は「馬鹿な」と言って取り合ってくれない。
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 1月の初め頃に彼女に大きな不幸が襲った。両親が交通事故で亡くなったのである。それから半年ほど悲しみばかりが彼女を襲った。
 よく晴れた日が続き暖かくなると彼女の心も元気づいた。秋がくるまでその日その日を暮らした。再び寒さがやってくるようになって彼女は暗澹たる未来に直面したのである。何をしても無である。医師は彼女には子供ができないことを宣言した。
 昨年一層厳しい寒さに身を苛まれた。彼女の体のいたるところに寒さが浸みこんだ。彼女は再び暖房のことを夫に話したが、「お月様」を欲しがるようにしか受け取られなかった。ある日彼はルーアンへ行った時、携帯用の行火を買ってきてくれて、これで永久に妻が寒さから解放されているように思っているようだった。
 12月の末になって彼女はここではどうしても生きて行けないように思って、「1~2週間パリへゆきましょうよ」と提案したが、夫は「ここが良すぎるくらいじゃないか、突拍子もない」と言って取り合ってくれなかった。
 彼女は「気晴らし」のことを言った。すると夫は「気晴らしって何だい、芝居かい、夜会のことかい、それともご馳走を食べにゆくことかい。ここへ来る前にお前はそんなことはいけないと充分知っていたではないか」という。
 彼女は夫の言葉に非難が込められていると感じて黙って泣いていた。夫は「どうしたんだ」と言ったが、彼自身は幸福そうだった。彼は春、夏、秋、冬の季節がそれぞれの人に快楽を与えることを知らなかった。
 彼女は「私は哀しいのです、少し気分が悪いのです、寒いのです」と言った。夫は怒りでカッとなったようだった。
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 夜が来た。彼女は自分の寝室へ昇った。そして「死ぬまでこんな風なんだわ」と思った。彼女は「お前は風邪一つひいたことがないじゃないか」という夫の言葉を思いだし、怒りが心を摑んだ。咳をして病気になれば、暖房器具をつけなければならないようになるだろう。殆ど裸の状態で素足のまま階段を降り庭に出て桜の木のところまで行こうとした。楡の木のところまで行き引き返したが、2・3度倒れそうになった。しかしさらに自分の身体に雪をこすりつけた。
 彼女は部屋に帰った。床に入って熟睡したが、翌朝、目が覚めると咳をした。肺炎になって譫言を言った。医師が来て暖房器具を備えつけることを勧めた。夫は露骨に不機嫌な様子をした。
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 彼女はなかなか回復しなかった。生命に不安さえ感じられた。医師が南国への転地を進めた。そして彼女はカンヌに来て太陽を知り、海を愛した。オレンジの樹の香りを吸い込んだ。
 やがて春が来て彼女は再び北国へ帰った。けれども彼女は治ることが怖かった。地中海の暖かい海岸を夢見るのだった。彼女は死のうとしていた。彼女は幸福だった。
 彼女は新聞を手にした。そこには「パリの初雪」という見出しがあった。彼女は南仏の山々や海のことを思い描いた。外へ出ていたのだが、寒気がしたので家に帰った。そこには夫の手紙が置いてあった。
 「愛する妻よ」と見出しがあり「2・3日前から氷りが張るようになった。雪の降るのも近いだろう」とあった。

『山の宿』<モーパッサン [あらすじ]

L’Auberge『山の宿』<モーパッサンあらすじ

 オート・ザルプ地方に行くと、似たり寄ったりの木造の宿屋が建っているが、シュワレンバッハの宿は、ゲンミイの隘路を通る唯一の避難場所になっている。
 その宿は年の半分だけ開いていて、冬になる前にオーナーたちは下山し、あとは老案内人のガスパール・アリと、若いウルリッヒ・クンジと犬のサムとが留守番をすることなっている。こうして2人の男と犬が春がくるまで、雪の牢獄にとどまるのだ。
 オーナーのオゼエ一家が山を降りる日が来た。留守番たちは峠まで一行のお供をした。
 彼らはまず小さな湖をぐるりとまわったが、太陽が白い砂漠に照りつけるだけで、この深い沈黙の中にもの音一つ聞こえるでもなかった。
 若いウルリッヒ・クンジは背の高いスイス人だったが、若い娘の方は長い山篭りのため風貌が退色したようだった。母親のオゼエは今回はじめて山に残るウルリッヒに注意を与えているが、アリ老人は14年もここで冬を過ごしたベテランだ。ウルリッヒは聞いているようだったが、心ここにあらずで娘の方を見ていた。
 彼らはドオブ湖に着いたが結氷した水面が広がっていて、周囲は岩山を露出した山や氷河の巨大な堆積があるだけだった。ゲンミイの峠にさしかかった頃、突然アルプスの壮大な遠景が広がって見えた。それらはとおく白雪をいただいた連峰の群像だった。やがて彼らの足下にロエーシュ村が見えてきた。人家はまるで砂粒のように散らばっている。
 ロバは峠に来て立ち止まった。女たちは雪の上に飛び降りた。
 別れの時だ。皆は別れの挨拶をした。若いウルリッヒ・クンジは娘の耳元で「山の人達を忘れないで下さい」と言ったが、娘もそれとなくその真意を理解したようだった。
 降りて行く人達が見えなくなって、老人のアリと若いウルリッヒ・クンジの2人の男はシュワレンバッハの宿の方へ引き返した。これから4・5ヶ月は2人だけの山暮らしだ。
 やがてガスパール・アリは去年の冬篭りの生活を語り始めた。彼ら(ガスパール・アリとその友達)は別段退屈もしなかった。勝負事やその他いろいろの遊び事が身に着くものだ。ウルリッヒ・クンジは目を伏せたまま聞いていたが、程なく山小屋の見えるところまで来た。小屋ではむく毛のサム(犬)が待っていた。「さあ、もう女衆はいないのだから俺たちは自炊しなければならない」とガスパール老人が言った。
 翌日ウルリッヒ・クンジはゲンミイの峠まで来てロエーシュの村を眺めた。屋根の低い家々は上から見ると、まるで牧場に石畳を並べたように見えた。オゼーの娘はどこにいるのだろう。だが太陽は没していまい若者は小屋に帰った。小屋では老人とトランプをした。夕食をして二人は床についた。
 来る日も来る日も山小屋の生活は同じようなものだった。ある朝二人は吹雪に襲われそれが四日四晩続いた。彼らはまるで囚人のような生活をした。ウルリッヒ・クンジは拭き掃除をし、ガスパール老人は炊事の仕事をした。二人は喧嘩もせず穏やかに過ごしたが、深く心に諦めるところがあったからである。老人は狩りに出かけた。若者は朝寝坊をした。
犬のサムも一緒に昼寝をした。そして四時に帰ってくるはずの老人を向かえに出かけた。雪は深い渓谷をすっかり平らにしていた。三週間このかたウルリッヒは村が見る峠へは行かなかったが、老人の帰りを迎えるために氷河のところまで来た。老人の名を呼んでみたがそれに答える声はなかった。
 太陽はすでに山の端に隠れた。ウルリッヒは老人は既に別の道を歩いて帰ったのだと思い、小屋へ帰った。犬のサムが向かえてくれたが老人はいなかった。今にも老人が帰ってきそうに思ったが、いろいろ心配になり椿事を想像した。
 ガスパールは穴に落ちたのではないかなど諸々の事故を想像した。だがこの広い山の中ではどのように探す術があるのだろうか。やがて彼はサムを連れて探しに出かけることを決心した。リュックの中に食料をつめたり、アルペン・ストックを準備したりしてガスパールを探しだす用意をした。
 柱時計が1時を打った頃サムを連れて山の方へ出かけた。険しい山を登りに登った。
 やがて夜が明けて太陽が山々を照らした。ウルリッヒ・クンジは再び歩き始めた。歩いても歩いても何も見つからなかった。正午頃食事をしたサムにも食べさえた。ふたたび捜索にかかった。日が暮れてもまだ歩いた。小屋からもう50キロも遠くへ来ていた。雪洞を掘ってサムと一夜を明かす準備をした。ウルリッヒ・クンジは一睡もしなかった。死の恐怖に襲われたとき、再び元気を取り戻した。
 小屋に戻ると家は空っぽだった。ウルリッヒ・クンジは夕食をして寝てしまった。
 深い眠りに落ち込んでいたとき、「ウルリッヒ」と自分を呼ぶ声を聞いたような気がした。
それで「ガスパールかい」と呼んでみたが、何の返事もなかった。風が起こった。荒涼とした高地には何ひとつなかった。さきほどの「声」は友が臨終の時発した声のような気がした。ガスパールは二日三晩くぼ地に落ちて断末魔の苦しみを味わったのだ。そして息を引き取る前に魂が友(ウルリッヒ)のところへ来たのだ。
 ウルリッヒはその魂を壁の後ろに感じた。それで恐ろしくて外へでる勇気がでなかった。
 夜があけるとクンジは幾分気が楽になった。朝食をしてサムにもスープを与え、椅子に腰掛けて雪の上に倒れている老人のことを考え続けた。
 やがて夜になって、一人になるとこの静寂な高い山の上で自分独りであることに恐怖を覚えロエーシュ村へ降りて行きたくなった。
 真夜中頃になると幽霊屋敷に行くのが怖いみたいに自分の床に入るのが怖くなった。と、突然、叫び声が聞こえ椅子からころげ落ちてしまった。この音でサムも起き、鼻をならして唸っていた。クンジは椅子をつかんで(幽霊に向かって)「入っちゃいけない、入っちゃいけない」と叫んだ。犬も一緒に見えない敵に対して吠えていた。ウルリッヒは正気に戻ったが恐怖のためブランデーを何杯もあおった。
 翌日も何も食べることなく酒ばかり飲んでぐでんぐでんに酔っ払って恐怖から逃れようとしていた。「ウルリッヒ」という呼び声を聞いたように思ったが、また酒を飲んで酔い潰れた。犬のサムも少し気が狂ったようだ。三週間飲んでしまったら酒がきれてしまった。
アルコールに頼れなくなくなると、恐怖の固定観念が増大し、家の中を右往左往するばかりだった。とうとうある晩思いきって小屋の戸をあけ、自分を呼ぶ奴を黙らせようとした。
冷気にあたって冷えたので戸を閉めたがその隙にサムが外へ出た。壁の外で誰かが泣いているような気がした。
 彼に残されていた理性も恐怖のため吹っ飛んでしまい、羽根布団や家具などで内からバリケードのように囲いをした。ところが外の奴は呻き声をあげるので彼もそれに応じて呻いた。このように連日連夜彼らはお互いに咆えつづけていた。そのうち疲れてしまって眠ってしまった。そして目が覚めると頭が空っぽのようになって何も覚えていなかった。
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 冬が終わった。ゲンミイの隘路も通れるようになったのでオゼエ一家は小屋に帰ろうとして出発した。ところが小屋に残って冬篭りしていた二人が峠まで向かえに来ていないので不審に思った。
 みんなが小屋に近づいたとき鷲に啄ばまれた骸骨を見た。「サムにちがいありませんよ」と母親が言った。オゼエ爺さんは「おーい、ガスパール」と呼んでみた。中から叫び声がするのが聞こえた。戸がなかなか開かなかったので三人の男が丸太のような梁を小屋にぶっつけた。戸は大音響をたてて崩れた。すると戸棚の後ろに一人の男が突っ立っているのを見た。髪は肩まで垂れ下がり、髯は胸のあたりまで伸び、眼光はらんらんとして身体に髑髏をまとった一人の男を。はじめは誰だかわからなかったが、オゼエがいきなり「かあさん、ウルリッヒだよ」と叫んだ。髪の毛は真っ白になっていたが母親もウルリッヒであることを認めた。みんながその身体に触っても何の反応もなかったので、ロエーシュの村まで連れて行き医師に見せた。医師は「気が狂っている」と言った。
 それにしてももう人はどうなったのか?知るよしもなかった。
 娘のルイーズはその夏、ぶらぶら病に罹った。みんなは山の寒気のせいだと思った。

『脂肪の塊』<モーパッサン [あらすじ]

『脂肪の塊』あらすじ<モーパッサン
 セーヌ河畔にあったゾラの別荘メダンで、普仏戦争に取材した6編の作品が編まれ、「メダンの夕べ」と題して1880年に出版された。ゾラ・ユイスマンスの作品と並んでこの中に『脂肪の塊』があった。ゾラの『水車小屋の攻撃』も含まれたいたことを附言しておく。
                ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
 普仏戦争のころのこと。プロシア軍の占領下にある、雪に降り込められたルアンの町から、ディエップに向かう馬車の仲に何人かの乗客がいた。
 成り上がり者で、利益にかけては眼から鼻に抜ける商人夫婦。製糸工場の持ち主で、県会議員の夫婦。ノルマンディー屈指の貴族で伯爵夫妻。共和国の到来を今や遅しと待っている民主主義者。それに修道女と、太っているので「脂肪の塊」という綽名を持っている娼婦たちだ。馬車の中はさながらフランスが背負い込んでいるブルジョア社会の縮図だ。
 足カイロまで用意して馬車に持ち込んだ夫人連は、唯一食料を持ち込んだ娼婦に空腹を満たしてもらう。貧窮の際の娼婦の寛大な恵みが、愛国心の前で同じ敵愾心に燃える貴族・ブルジョア・修道女を含む雑多な社会の団結を固くする。
 馬車はトートの中継地に入るが、そこで出発許可証の発行の検査にあたったプロシアの将校は「脂肪の塊」を見て欲情を催し、出発許可証と引き換えにこの女に商売を要求する。娼婦の愛国心はこの取引を拒絶する。無論馬車は出発できない。宿場に泊まることを余儀なくされた乗客の一行は、はじめは娼婦の愛国心に同調してプロシア兵の破廉恥な要求に憤慨する。
 しかし、2日から御者も降りてしまって雪に埋もれた馬車を見るにつけ、何時発てるかもしれない不安が人々の心を支配してゆく。それぞれ目的を持ってディエップからさらに非占領下のル・アーヴルへ向かおうとする一行である。彼らが発てないのは要求に応じようとしない娼婦のせいである。商売を拒絶する権利が、我々の足を釘付けにする権利が、娼婦にあるだろうか。娼婦だけを残して出発させてくれるように、という一行の願いも、人間の本性をわきまえた将校は聞きいれない。娼婦に商売をすすめる様々な手段が、娼婦を除け者にしたブルジョアの間で話される。ルアンであらゆる客をとっていた女がこの男は嫌だという権利があるだろうか。プロシア兵がいままでの男と劣ったところがあるのだろうか。愛国心はあらゆる犠牲を要求するのではないだろうか。修道女はル・アーヴルで傷病兵の待つ病院へ呼ばれてさえいるのだ。
 皆は娼婦を説得することを始めた。貞操を犠牲にして国家の危急を救ったローマやイギリスの夫人の話しが持ち出される。娼婦の自尊心はある時は慇懃に扱われ、道理に訴えられ、またあるときには居丈だけに扱われたりする。
 夕食の時娼婦は一同のところへ降りて来なかった。「かわいそうに」とか「プロシア兵のならず者め」など意見はまちまちであったが、晩は解放を祝してしての乾杯であった。
 冬の明るい太陽が雪を眩しく反射させている次の日の朝、馬車は再び一行を乗せて走り出す。「脂肪の塊」は来た時と同じ座席に座り、他の人々は、病毒を避けるかのようで何事もなかったように座席を変えただけだった。
 今度はブルジョアたちが用意よく朝食を食べた。誰も言葉をかけてくれない娼婦はただ食事風景を眺めているだけである。娼婦の眼か涙が落ちてくる。民主主義者のコリュニデは貴族やブルジョアへの当てつけにマルセイエーズを歌い出す。
                 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
 この作品に師のフローベールは「正真正銘、巨匠の作品だ」と絶賛の評を送ったことは有名なことだ。この一作をもって「メダンの夕べ」は自然主義的要素を濃くした。
 ブルジョアの利己心のために自己の愛国心を犠牲にして泣いた娼婦は人間性の眞に迫った作品といえよう。
 なお「脂肪の塊」はアドリエンヌ・ルゲーという実在の人物がモデルだといわれている。




『ペスト』カミュ [あらすじ]

『ペスト』あらすじ<カミュ
                           (1)
 194ж年、当時はまだフランスの植民地だったアルジェリアの一県庁所在地オランを舞台に借りたペスト流行の記録風物語である。

 4月16日の朝、医師ベルナール・リューはアパートの階段で一匹の死んだネズミにつまずいた。同じ日の夕方やはりアパートの玄関で大きなネズミがよろよろしているのを見た。
 ネズミの吐いた血を見てリューは自分の心配事に引き戻された。一年以来結核で病んでいた妻が明日山の療養所へ出発することになっているのだ。
 翌日リューが下町に往診に行くと、いたるところでネズミの話で持ちきりだった。10日後の新聞では8千匹のネズミが収集されたことを伝えると同時に、原因不明の熱病で人の死亡が増加していることが報告されていた。リューは植民地総督府に報告書を作成した。その後知事からの「ペストジョウタイヲセンゲンシ、シモンヲヘイサセヨ」との公電を見せられた。
                            (2)
 市の最も顕著な結果の一つは、そんなつもりなどなかった人々が突如として別離の状態に置かれたことであった。会うことも文通することもできなくなった。手紙は病原菌の媒介となるという理由からだった。電話も緊急なときのみに制限された。電報だけが使用可能だったが、「コチラブジ、ゲンキデ」と言った常套文句だけになった。
 市の出入り口には衛兵が配置され、海水浴は禁止され、市内には一台の乗り物も入って来なかった。市が閉鎖されてから3週間目に死者の数は302名と報道されたが、人々の想像力に訴えかけることはなかった。市の人口は20万を数えたが、通常でも日に何人死んでいるかということは皆知らなかったからである。
 5月の終わり頃、知事は、食料の補給を制限し、ガソリンを割り当て制にするという措置をとった。電気の節約ということまで決められ、多くの商店や事務所が閉鎖され、そのために何もすることがなくなった大勢人々が街頭やカフェにあふれていた。カフェは、相当量のアルコール飲料がストックされていたので、市民の欲求を満たすことができた。そのため、毎晩相当の数にのぼる酔っ払いが街頭に溢れていた。
                          (3)
 6月の終わりに激しい熱風が一日中吹き続き、犠牲者の数は週に700名と急上昇した。家々の扉は熱風とペストから身を守るため閉ざされていた。中から呻き声が聞こえたが、人々は気にも止めなくなっていた。新聞には、街から出ることを重ねて禁止し、違反者には投獄の刑をもって臨むとの布告が発表された。ペスト菌の媒介するかもしれない犬や猫が殺傷さていた。
 資産家のジャン・タルーはふらっとオランにやってきて、ペストに出会う。「私は死刑の宣告はまっぴらです」と言って保健隊を組織する。幾つかの班が組織され、市内の消毒や医師の手助けをし、患者の運搬などを行った。
 新聞記者のランベールは取材のためたまたまオランにやって来てペストに出会う。彼は盛んにオランからの脱出を試みる。観念のために死ぬのは嫌で、「自分の愛する者のために生きかつ死ぬ」という考えの持ち主だ。
 リューはランベールに、「人間は観念じゃない。今度のことはヒロイズムなどという問題ではなく、誠実さの問題だ」と言う。「誠実さとはなんですか」と問うランベールに「それは自分の職務を果たすことだ」とリューは言う。ランベールは「この街から脱出できる方法が見つかるまで、「僕も保健隊で働かせて下さい」という。
 8月の半ばには、死者の数も急増し棺も、墓地の土地も足りなくなった。死者は男女を問わず墓穴に埋められ、その上に石灰がまかれた。
                           (4)
 リューの先輩のカステルという医師の血清が試されたのは10月の下旬のことだった。その実験台になったのは絶望的な症状と判断された少年だった。
 少年はか細い呻き声を出し、乱れた床の中で貼り付けにされた者のようなポーズをとった。
 「これで死ぬとしたら人より長く苦しんだことになる」と博学かつ戦闘的なイエズス会の会士で保健隊の一員でもあったパヌルー神父が言った。
 少年は持続的な悲鳴をあげていた。リューは歯をくいしばり、タルーは顔をそむけ、ランベールはカステルの傍の身を寄せ、カステルは膝に広げていた本を閉じ、パヌルー神父は「神よ、この子を救いたまえ」と唱えていた。少年の悲鳴はやがて弱まり、亡くなった。
 「こんなふうに子どもが責めさいなまれるようにつくられた世界を愛するなんて、死んでもできません」とリューが言った。「確かにあなたもまた人類の救済のために働いておられるのです」とパヌルー神父が言った。「僕はそんなおおげさなことを考えてなどいませんよ。人間の健康ということが僕の第一の関心事です」とリューが言った。
 市民たちは予言や迷信をたよるような心理的状態にあった。そんな折パヌルー神父が説教を行った。
 「あれは理解できる、しかしこれは受け入れることはできない、などということは言えないのです。全てを認めて受け入れるか、すべてを放棄するかのどちらかなのです。中間というものは存在しない。なぜならわれわれは、神を憎むか、あるいは愛するか、選ばねばならないからです。皆さん、神への愛は困難な愛です。それは自我の前面的な放棄を前提としております。しかし、この愛のみが子どもの苦しみと死を消し去ることができるのです。これこそ私が皆さんと分かちたいと願った困難な教訓であります」。これがパヌルー神父が行った説教のエッセンスだが、この説教を行った数日後に神父はペストと似た症状で死者の仲間いりをした。
                           (5)
 ペストの始まった春から市立オペラ劇場で『オルフェイスとエウリディケ』の上演が続いていた。多くの市民には適度の刺激剤になっていた。
 リューが「心の平和に達するにはどうすればいいか」と聴くとタルーは「それは共感というものだ」と答えた。続いて「僕が心を惹かれるのは、どうすれば聖者になれるかという問題だ」とタルーは語をついでいう。リュー「君は神を信じていなのだろう」。タルー「だから、人は神によらずして聖者になりうるか----これが、今日僕の知っている唯一の具体的な問題だ」<二人の会話。
 クリスマスの頃、統計は病没の衰退を示していた。市の門が開かれる数日前、ペストは最後の攻撃を行い、タルーがその犠牲者となった。タルーの死を看取ったリューは、妻の死の知らせを平静な心で迎えることができた。
 年が明けて2月のある晴れた朝市の門が開かれた。外部から乗客を満載した列車がやって来た。ランベールの愛人もその中にいた。人々は踊っていたが、病人には休日はなかった。リューの職務は続いていた。
 この記録も終わりに近づいた。これを記録したのは医師リューその人であったことが明かされる。港からは祝賀の花火が打ち上げられる。その時リューはペストの記録を書き綴ろうと決心したのだ。
 即ち人間には軽蔑すべきものよりも賛美すべきものの方が多くあるということを記録するために。またペスト菌はけっして死滅することのないものであり、おそらくは人間に不幸と教訓をもたらすために、ふたたびネズミどもを呼びさまし、どこかの幸福な都市に彼らを死の使者として差し向ける日がくるであろうということを忘れさせないために。

『ジュール伯父』<モーパッサン [あらすじ]

『ジュール伯父』あらすじ<モーパッサン
 友人のジョゼフが物乞いの老人に百スーやったことを「僕」が驚いたのを見て、ジョゼフが身の上を語るという枠組みで物語が進められる。

 「僕」の家はル・アーブル出だが貧しい家庭だった。お袋は所帯の苦しいのを辛がり、絶えず父親を批判していた。倹約できるものはすべて節約した。
 ボタンを失くしたり、ズボンを裂いたりしたらひどく叱られたものだ。ところが日曜日にはお袋が盛装し父親の腕にすがって波止場にでかける習慣があった。僕たちは見せびらかすように波止場を練り歩くのが常だった。そこには適齢期の姉たちのデモストレーションの意味もあったようだ。波止場に大きな船が来るたびに「あの船にジュールが乗っていたら、たまげるだろうな」というのが父親の口癖だった。
 ジュール伯父というのは父親の兄だったが、あまり評判のよくない人のようだった。ところがいまでは僕たちの唯一の希望だった。
 どうやら伯父は身持ちが悪く家の金を使いこんでいたようだ。金持ちならともかく貧乏人の家ではそんな人間は「悪者であり、無頼漢であり、やくざということになる」のだ。
 ジュール伯父は自分の分け前を一厘まで使いこんだので、その頃皆がそうしたように、ル・アーブルからニューヨーク行きの貿易船に伯父を乗せアメリカへ送りだしたのだ。
 一度伯父から手紙があり、商売で身をたて迷惑をかけた分のつぐないができるだろうといった内容だった。この手紙は僕たちに深い感動を与えた。ジュールは俄かに「立派な人間、勇敢な男」になった。
 2年たって二度目の手紙が来た。その内容は、伯父は成功し順調にやっている。4・5年はかかるだろうが、ル・アーブルへ帰って幸せに暮らそう、というような内容だった。この手紙は家中の福音書になった。
 ところが10年間伯父からの手紙はなかった。僕たち、父親もお袋も皆希望が膨らんで待ちくたびれるほどだった。伯父は「一旗挙げて帰ってくる」そう信じていた両親はいろいろと計画を立てていた。田舎に一軒屋を持つこともその計画の中に入っていた。やっと下の姉に求婚者が現れた。伯父の手紙をみての求婚者だったようだ。式が済むと一家揃ってジェルセー行きの小旅行をすることまで決められた。このジェルセーというのは船で行くイギリス領だった。外国へ行けるのだ。
 僕たちは出発した。幸福な得意な気持ちで去り行く浜辺を眺めていた。親爺はフロックコートを着ていた。船上で牡蠣を食べている上流階級の人を見て親爺は「どうだいお前たちにも牡蠣をごちそうしてやろうか」と言った。二人の姉はそれに応じたが、お袋は食べないと言い、僕にも食べないようにうながした。親爺は二人の娘と婿を連れてボロをまとった水夫の方へもたいぶって歩いて行った。
 親爺が急にそわそわした様子になった。真っ青になってお袋につぶやいた。
「変なんだよ、あの牡蠣をむいている男がジュール兄とそっくりなんだ」。親爺は「どうしたらいいのだろう」とお袋に言う。お袋は「子どもたちを遠ざけることよ」という。親爺は気の毒なほどいびれて呟いた。「なんという始末だろう」と。
 お袋は突然気ちがいのように怒りだして、「ジョゼフ(僕のこと)に金をやって牡蠣代を払いにやりなさい。そしてあの男に気づかれないように遠くに行きましょう」という。
 「爺さんいくらですか」。「2フラン50です」。僕は3フラン銀貨をだして釣銭を受け取った。老人は貧素な見出しなみだった。僕は「これが僕の伯父さんなんだ」と心の中で思いチップとして釣銭を渡した。男は喜んで礼を言った。「坊ちゃん、神様のお恵みがありますように」。
 施しものをうけるその言葉使いに彼があちらでも乞食をしていたのだと思った。釣銭を親に返したとき、お袋が言った。「3フランもしたの!」。僕はチップとして50サンチームやったことを言った。「アホめ!あんな男に50サンチームもやる必要なんかないのに」とお袋が言った。婿のいることを知らせる親爺の目くばせにお袋は黙った。
 それから誰も口をきかなかった。僕たちの正面、水平線上にジェルシー島が見えた。ジェルシー島に着いたとき、伯父さんに会って優しい声をかけたい気持ちに僕はなったが、もう牡蠣のところには誰もいなかった。あの気の毒は船倉の寝部屋に行ったに違いない。それから僕たちはあの人に会わないように、サン・マロ行きの船に乗った。それ以来僕は親爺の兄貴に会ったことがない。これが時々浮浪人に会ったとき、ぼくが100スーをめぐんでやる理由なんだ。

『真珠の首飾り』<モーパッサン [あらすじ]

『真珠の首飾り』あらすじ
 安月給取りの家庭に案外美人の娘があるものだが、ロワゼル夫人は金持ちの男から求婚されることもなく、文部省の小役人と結婚した。玉の腰に乗ることもできただろうに彼女は寂しくて仕方がなかった。彼女は豪華で凝った家具に囲まれている自分を空想するのだった。夕飯のとき夫からスープを褒められても、貴族風の食卓を空想することもあった。
 彼女には晴れ着も装身具も、そんなものは何一つなかった。立派なものも身に着けたいという欲望はあったのだが・・・。彼女には一人の友達があった。
               ※ ※ ※ ※ ※
 ある日夫が文部大臣から晩餐会への招待状を持って帰ってきた。ところが彼女は喜ぶどころか憂鬱になるのだった。夫は妻に喜んでもらえると思ってはしゃいでいる感じだったが、彼女は「私に何を着て行けとおっしゃるの」と不満をぶっつける。
 涙を見せる妻に夫はたじろいだ感じだ。妻は「私にはよそ行きというものがないでしょう」と不満の原因を述べる。「こんな招待状誰かにあげて下さい」ともいう。夫は「いくらくらい出せばよそ行きの服は買えるのか」と尋ねる。妻は400百フランもあればというが、それはちょうど、日曜日に友達と雲雀狩りにゆく費用としてへそくっていた金額だ。
                        ※ ※ ※ ※ ※
 晴れ着はなんとか買ったが、それでもロワゼル夫人は不満そうだった。身に着けてゆく装身具がないからである。夫は「フォレスチエ夫人(ロワゼル夫人の友人)のところへ行って借りればいいじゃないか」と示唆する。「そうだわ」と言ってマチルド(ロワゼル夫人)はフォレスチエ夫人のところへ駆けつける。そしていろいろ装身具を見せてもらったあとで、ダイヤのすばらしい首飾りを借りることにして、いさんで家に帰る。
                        ※ ※ ※ ※
 宴会の当日になった。ロワゼル夫人は大成功だった。彼女は快楽に酔いしれながら、無我夢中になって踊った。自分の美貌の勝利、自分の成功の栄誉にひたりながら、もう何も考えることもできない程だった。
朝の4時になって、別の部屋で同僚と寝ていた夫を起こし帰り支度をした。階下に下りて馬車を探した。おんぼろ馬車に乗って家に帰り着いたとき、フォレスチエ夫人から借りた真珠の首飾りがないことに気づいた。
二人は呆然としたが、夫は「馬車の中かも知れない」と言って探しに外へ出た。ロワゼル夫人は空ろな気持ちで待っていたが、夫は八方手を尽くして探したが見つからなかったということだった。夫はフォレスチエ夫人に「留め金か何かが壊れたので修繕に出しているので、すこし時間的余裕がほしい」と言ったような手紙をかいたら」というようなアドヴァイスをしてくれた。
                      ※ ※ ※ ※
 一周間後すべての望みが断ち切られた。ロワセル氏は「代わりのものを見つけねばならぬ」という。それで宝石商のところへ行ったが、「これは箱だけを手前ももののところでしつらえたものです」という。
彼らは宝石商から宝石商へと尋ね歩いた。パレ・ロワイヤルの店で失くしたものと殆ど同じものを見つけた。4万フランというところ3万6千フランにまけてもらうところまで話しをつめた。ロワゼルには父親が残してくれた1万8千フランの金があった。あとはあちことかけずり周って何とか3万6千フランをこしらうえて首飾りを買い、フォレスチエ夫人のところへ持って行った。フォレスチエ夫人は返済が遅いのに不満そうだったが、箱をあけてみようともしなかった。
                     ※ ※ ※ ※
 ロワゼル夫人は貧乏が身にしみた。借金を返すために節約し、女中も解雇し屋根裏部屋に居を移した。ロワゼル夫人は食器洗いや、肉の買い物など長屋のおかみさんみたいなことをすべて自分でした。値切ることもした。夫のロワゼルも残業をしたり、二人は夜内職もした。
 10年後には利息も含めてすべて返済することができた。ロワゼル夫人は今ではおばあさんのようになっていた。風貌もすっかり下町のおかみさんのようだった。
                     ※ ※ ※ ※
 ある日曜日のこと、息抜きにシャンゼリゼ通りを歩いている時、偶然フォレスチエ夫人に出あった。フォレスチエ夫人は相変わらず若くて生めかしかった。思いきって声をかけてみた。ところがフォレスチエ夫人は変わり果てたロワゼル夫人を見ても「お人違いではないですか」と思いがけないことを言った。それで名乗ると「マチルドだったの」という始末。そこでロワゼル夫人は事の次第を話して聞かせた。フォレスチエ夫人は感動してマチルドの手をとって、「まぁどうしましょう、マチルド!私のは模造品で、せいぜい5百フランほどのものだったの」と言った。




『シルビー』<ネルヴァル [あらすじ]

『シルビー』あらすじ
(一)失われた夜
 「私」はとある劇場から外へ出るのだった。毎回のようにここへ来るのだったが、それはある女優がお目当だったからである。
 私は彼女が生きがいと感じるほどだった。だがその女優の私生活に関しては殆ど関心がなかった。
 頃はフランス革命が終わった一種異様な時代が過ぎ去ったころのことだった。
 劇場を出ると私はあるクラブへ行くのが慣わしだった。その日もしそこへ行って仲間と一緒に飲んだりしていると、その女優とある男がねんごろだという話しを聞く。私はその果報者を遠目に見たが特になんともおもわなかった。
 そのクラブの新聞閲覧室で見た新聞で私の持っている公債が値上がりしそうだと出ていた。私はまた金持ちになりそうだった。そうなれば私は彼女を自分のものにすることができる。だが「金で女を買う」などという考えは時代遅れではないかと感慨に耽っていたとき、別の記事を見た。それは故郷のサンリスで祭りが行われるという記事だった。
(二)アドリエンヌ
 部屋に帰ってベッドに入ると昔のことがまざまざと思い出された。それは若い娘たちが古い歌を歌いながら輪になって踊っている光景だった。同時に私はヴァロワ(パリ北東あたりの地名)にいる思いだった。
 この輪踊りの中で私はたった一人の男の子だった。シルビーという女の子を連れていた。私は彼女しか愛していなかった。ところがその輪の中にアドリエンヌという別の女の子がいた。
 偶然その輪の中で、私はそのアドリエンヌと二人だけになった。私はその美しいアドリエンヌにキスをするようにみんなから言われた。私は心の動揺を感じた。アドリエンヌは輪の中へ戻るためには歌をうたわねばならなかった。アドリエンヌはこの地方に伝わる古い歌を歌ったが、それは心にしみるような声だった。
 闇が降りてきていた。歌は終わった。私は城館の花園のところへ走って行って、月桂樹の枝を折り、編んでリボンをつけそれをアドリエンヌの頭につけた。彼女はまるでダンテの『神曲』に出てくるベアトリーチェのようだった。
 彼女は立ち上がって、ほっそりとした身体をのばし皆に挨拶をすると走って城館の中へ帰って行った。彼女はヴァロア家の血を引く、孫娘だったのだ。それ以後再び彼女と会うことはなかった。預けられていた修道院へ帰って行ったからである。
 シルビーの傍へ帰ると彼女は泣いていた。もう一つ作ってあげようと言っても彼女は拒否した。私は勉学のためパリに戻ったが、アドリエンヌの姿だけが勝ち残ったようにあった。その後アドリエンヌは終生修道院で暮らすことになったという噂を聞いた。
(三)決心
 夢うつつで見たこの思い出。一人の女優に対する恋い心。これはアドリエンヌから芽生えたものであった。
 女優の姿のもとに修道女を愛していたのだ。だが現実に戻ろう。シルビーがいたのだ。ロワジー村で一番美しいシルビーが。シルビーがいた窓辺のことが思い出された。シルビーは「パリっ子」と言われた私を愛してくれていたのだ。
 伯父が残してくれた財産(公債)が今蘇った。今は何時だろう。時計を見ると午前の一時だった。パレロワイヤル広場へ行き客待ちをしている馬車の御者に「サンリスのロワジー村へ」と言った。フランドル街道はなんと陰気なのだろう。だが田舎へ行ったことを思い出そう。
(四)シテールへの旅
 何年かが過ぎ城館の前でアドリエンヌに会った頃のことは、もう昔の思い出の一つになっていた。久しぶりに私はロワジーの村へ来ていた。騎士の集いに入れてもらった。陽気な騎馬の連中がシャンティやコンピエーニュやサンリスから若者が集まり、川の中州で会食が催された。
 舟で湖を渡るという企画はヴァトーの「シテールへの旅」を彷彿とさせるものだった。私はシルビーの傍に座ることができたが「私のことなんか忘れちゃったのよ」と言ってシルビーは何となくよそよそしい。頬にキスをしたが儀礼的な感じだった。
 祭りの世話役が、白鳥が花輪や花冠をつけて飛び立つという思いがけない趣向を見せてくれた。落ちてきた花の一つを私はシルビーに差し出した。シルビーはさっきとは違って情のこもったキスをさせてくれた。しばらく見ぬうちにシルビーは、昔の田舎娘ではなく古代の美術にでも出てきそうな美しい魅力的な女性になっていた。シルビーと私は踊りの群れから抜け出し、二人で懐かしい思い出話しに耽った。だがシルビーの兄が来て、帰る時間だと告げた。
                 (五)村
 私は彼らをロワジーの狩猟番人小屋まで送って行った。それから伯父の家へ行った。そこまでは1キロほどあったが、途中ドルイド教の巨石が見え続けていた。私は途中ヒースの茂みの中で朝まで眠ってしまった。目が覚めると周囲にいろいろな廃墟や城館のあとや塔などが見えた。
 私は夜中シルビーのことを考えて楽しかった。目が覚めて城館を見た時アドリエンヌのことが思いだされた。だが現実に戻ってシルビーを起こしに行こうとロワジーへと向かった。森林の道に沿って行くと20軒ほどの集落に着き、そこにシルビーの家があった。階段を登りシルビーのところへ行くと彼女はレースを編んでいた。ところがその手を休めて、オチスにいる伯母さんのところへ行こうと言って立ち上がった。私たちはテーブ川に沿って出かけた。ツグミが鳴いていたり四十雀が飛び立って行った。私はルソーの『新エロイーズ』の話しを聞かせてやった。シルビーは「面白いの?」といって「今度兄がサンリスへ行った時買ってきてもらおう」と言った。
(六)オチス
 林を出たところでシルビーは伯母さんのためにジギタリスの花を摘んだ。伯母さんの家は田舎屋だった。シルビーは挨拶をして、「この人は私の恋人よ」と紹介してくれた。伯母さんは私の金髪の髪の毛などを褒めてくれた。それから朝食の支度をした。その間、シルビーはレースの編み物がしまってある二階のタンスの鍵を手にして嬉しそうにしていた。私はシルビーのあとを追って二階へ駆け上った。そこには、伯母さんの夫であったコンデ家の狩猟番人の絵があった。つたない絵ではあったが、若い頃の伯母さんの絵もあった。
 シルビーはタンスの引き出しの中から、タフタ織りの晴れ着を見つけていた。「私これを着てみたいわ」とシルビーが言った。「そうすれば妖精のように見えるよ」と私は言った。
 年老いた伯母さんの服はほっそりとしたシルビーにぴったりと合った。階下から伯母さんの呼ぶ声が聞こえたが、シルビーにうながされて私も18世紀の婚礼衣装を身に着け階下へ降りて行った。伯母さんはびっくりして驚いていた。あの美しい夏の一朝を私たちは花婿・花嫁として過ごしたのであった。
(七)シャーリ
 (現実に戻って)今は午前4時だった。オリーを過ぎ、ラ・シャペルを過ぎてシゃーリに来た。ここにもまた思い出が一つある。昔の皇帝たちの隠棲の地も今では人目をひくものとしてはビザンチン様式のアーケードのある僧院の廃墟が池に影を落としている。
 (思い出に戻って)私たち、シルビーの兄と私はその晩催された行事に行き合わせた。その時私が目にしたものは古代の神秘劇と言ったものだった。一人の精霊が現れた。それがアドリエンヌだった。すでに修道女となって以前とは違う姿だった。こうしたことは本当にあったことなのかどうか、夢でもみているような気持ちになった。夢想に耽っている間に馬車はプレシーの街道で停まった。私は夢幻の世界から出た。あと15分もすればロワシーに着く。
(八)ロワジーの踊りの集い
 夜明け頃、ロワジーについてすぐに踊りの集いに入った。シルビーと彼女に付き添っている一人の青年に会った。夜明け頃にシルビーと踊りの集いから出た。私はシルビーに「もう僕を愛していないのだね」と言った。シルビーは「『新エロイーズ』を読んだ」と言った。それから「あなたはイタリア旅行中に綺麗な女の人と会ったりしたのでしょう」とも。私は「むなしい面影(パリの女優のこと)」のことを思った。・・・が私は「永遠に君のところへ戻ったのだ」とプロポーズのようなことを言った。その時シルビーの兄が酔った感じで、いきな若者と一緒に話しの中へ入ってきた。この男はシルビーに恋いをしているようだったが、気にせずシルビーと別れた。
(九)エルムノンビル
 伯父の家に行った。懐かしいものがいろいろあった。ブーシェの絵とかモローの挿絵画など。これらは生前の伯父の心を楽しませたものだ。「鸚鵡を見に行こうか」と私は小作人に言った。
 私はシルビーに会いたくなってロワジーへ引き返した。途中「哲学の殿堂」と呼ばれている神殿のような建物があった。そこにはモンテーニュとかデカルト、さらにはルソーの名前が記されていた。島のポプラのあたりに今では空になったルソーの墓があった<エルムノンビル風景。緑深いが一帯は荒涼として砂漠のようだった。子どもの頃のシルビーの姿が脳裏に浮かんだ。
(十)グラン・フリゼ
 ロワジーでシルビーに会った。皆もう起きていた。シルビーは都会趣味のお嬢さんのような身なりをしていた。部屋には昔のものはほとんど残っていなかった。私は「むしょうに」で出たくなった。シルビーはもうレース編みをしていなくて、手袋を作っているとのことだった。シルビーは「お好きなところへお供しますわ」と言った。私はオチスを暗示したが、あの伯母さんはもうこの世にはいないとのことだった。
 われわれは座って昔話しに耽った。伯母さんの家でシルビーと着た婚礼衣装のことを思い出した。伯母さんはその時より2年後に亡くなったということだ。彼女はもう百姓女ではなく手袋職人として立派な大人になっていたが、妖精のような雰囲気は残っていた。
(十一)帰り道
 私とシルビーは森を出てシャーリの池のほとりまで来ていた。昔歌った歌の話しをした。こともあろうに私はアドリエンヌの出現のことを話してしまった。私はシルビーに歌を所望した。私たちは谷を降りた。修道院の外壁のところまで来た時、私は「あの修道女はどうなったのだろう?」と不意に思いついて言った。「たいへんなのね、あの尼さんのこととなると」とシルビーは言った。恋いとは不思議なものだ。シルビーとはこどもの時から一緒だったので、とても彼女を誘惑する気にはなれない。オーレリー(あの夜毎に舞台にたっている女優のこと)は今頃どうしているのだろう。
 「あんまりうわついたことを考えてるわけにはいきませんね」とシルビーが言った。
(十二)ドデュ爺さん
 シルビーと結婚したら・・・などと考えているうちにロワジーまで帰ってきていた。そこでドデュ爺さんに会った。彼はおまじないをすることで皆からあまりよくは思われていなかったが、エルムノンヴィルでガイドをし、ルソーの話しなどしていたとのことだ。「あなたは、わしらの娘っこをたらしこみにきなすったのかな」などと爺さんは言った。さらに「都会の毒気のなかでは人間は腐敗する」とルソーの言葉を口ずさんだりもした。
 ドデュ爺さんは酒の席で卑猥な歌を歌った。そばにシルビーを恋している青年がいた。はじめ誰とわからなかったが、それは乳兄弟のフリゼだった。
 シルビーは「眠い」と言って二階の部屋へ上がっていった。私は彼女はもう自分のことを愛していないと思った。ドデュ爺さんがシルビーとフリゼが近じか結婚することを教えてくれた。フリゼは菓子店をもとうとしているのだとも。
 翌日私は馬車でパリへ帰った。
(十三)オーレリー
 パリへは5時間の行程だ。8時頃私は通いなれた劇場の席にいた。オーレリーは魅力的だった。花束を買い愛情のこもった手紙を添えてオーレリーに宛てた。翌日私はドイツへの旅に発った。
 ドイツで私は何をしようとしたのだろう?二つの恋いに夢中なるような小説は世に受け入れられないだろう。私はシルビーを失った。オーレリーの方もいつかはわかるだろうといった状態だ。
 ある朝新聞でオーレリーが病気だという記事を読んだ。早速彼女宛に手紙を書いたが、好結果がえられるかどうかはわからない。数ヶ月が過ぎた。私は恋いを主題にした詩劇を一つ書こうとした。それが書き終えられるとフランスへ帰ろうと思っていた。
 私がドイツから持ち帰った劇をオーレリーが引き受けてくれた。私はドイツからの手紙は私が書いたものだと打ち明けた。彼女は「また会いに来てちょうだい」と言った。愛に満ちた手紙を何度か交換した。彼女は「(愛を)断ち難い男がいる」ことを打明けた。会いにきてほしい旨の手紙を受け取って、私は彼女に会いに出かけた。そこでいつかの晩に見かけた美青年がアフリカ騎兵隊に入って行ってしまったという話を聞いた。
 次の夏シャンティーで競馬があった。オーレリーが所属している劇団がここで公演を行った。私は由緒あるこの地方の廃墟などに連れて行ったが、彼女はあまり興味を示したとは言えなかった。アドリエンヌに初めて会った場所へも連れて行き、昔話をして、アドリエンヌが今オーレリーとして蘇ったのだと語った。ところがこのことが彼女の反発をかって気を悪くさせてしまった。
 オーレリーはサンリスで芝居をした。そして彼女が座長に恋いをしていることがわかった。彼女は「私を愛して下さっているのはあの人よ」と言った。
(十四)最後のページ
 これが人生の朝の悪夢だ。すべては幻想なのか。思い出の光を変えたその星は、アドリエンヌだったか、はたまたシルビーだったか。それは私の恋いの両半分だった。一方は気高い理想。今一方は懐かしい現実だった。
 私は「ヨハネ聖像」旅館に泊まりに行った。周囲には懐かしい自然がある。エルムノンヴィルよ。
 幼な馴染みのグラン・フリゼに出会った。シルビーには二人の子どもがいた。グラン・フリゼが朝食の支度をしている間に、私たちは子どもたちを散歩に連れて行った。オーレリーが所属している一座がダマルタンで興行したことを話した。そしてあの女優とアドリエンヌが似ていないかとシルビーに言った。
 シルビーは「まぁなんてことを、あの気の毒なアドリエンヌはS・・尼僧院で亡くなったのよ。1832年頃に」と言った。
                           ※ ※ ※
 あらすじというより短編の縮約というまとめ方になってしまった。それにしてもネルヴァルの散文は詩情があふれ、この一編をとってみても「詩」と言っても過言ではないような印象を受ける。詩情豊かな作品だ。
 物語の背景はパリ北方の古く由緒のあるサンリス地方が舞台だ。先ず冒頭は(物語)の現在である「今」で「私」はファンとなっている女優(オーレリー)を見に毎晩のように劇場通いをしている様が描かれる。ところがふとしたことで新聞を見、そこに幼少のころに住んでいた故郷の記事が出ていたころから、急遽馬車でサンリス地方に出かけ、祭りに参加するが、幼い頃にあった城館のお姫様アドリエンヌやシルビーと踊ったことなど思い出す。その思い出も古いものや比較的新しいものが交差し重層的に物語が進む。アドリエンヌのことは一瞬の出来事のようだが、シルビーとの思い出は初恋の思い出として、具体的に描かれている。
 しばらくぶりで故郷を訪れた「私」はシルビーが、「私」の幼な友達と婚約し、その後彼と結婚し二人の子供がいる場面に遭遇する。「私」の心の中でシルビーは幻想的な恋人だったが、(平凡な)現実の母になり夢が醒めたようになる。
 再び物語が現在に戻り、「私」は、女優のオーレリーがサンリス地方の公演を実施したのについて行く。そこでオーレリーとアドリエンヌがオーバーラップしていることを告白するが、オーレリーは座長に心が傾いているようで「私を愛してくれているのは、あの人よ」と言われ、彼女も「私」から遠い存在になっていることを知る。
 物語は「現在」→「過去」→「現在」という構成で計算された作品だが、サンリス地方の古い城館のあとや廃墟のようになった修道院などとからめて叙情的な名品に仕上がっている作品だと思う。

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