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『ペスト』カミュ [あらすじ]

『ペスト』あらすじ<カミュ
                           (1)
 194ж年、当時はまだフランスの植民地だったアルジェリアの一県庁所在地オランを舞台に借りたペスト流行の記録風物語である。

 4月16日の朝、医師ベルナール・リューはアパートの階段で一匹の死んだネズミにつまずいた。同じ日の夕方やはりアパートの玄関で大きなネズミがよろよろしているのを見た。
 ネズミの吐いた血を見てリューは自分の心配事に引き戻された。一年以来結核で病んでいた妻が明日山の療養所へ出発することになっているのだ。
 翌日リューが下町に往診に行くと、いたるところでネズミの話で持ちきりだった。10日後の新聞では8千匹のネズミが収集されたことを伝えると同時に、原因不明の熱病で人の死亡が増加していることが報告されていた。リューは植民地総督府に報告書を作成した。その後知事からの「ペストジョウタイヲセンゲンシ、シモンヲヘイサセヨ」との公電を見せられた。
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 市の最も顕著な結果の一つは、そんなつもりなどなかった人々が突如として別離の状態に置かれたことであった。会うことも文通することもできなくなった。手紙は病原菌の媒介となるという理由からだった。電話も緊急なときのみに制限された。電報だけが使用可能だったが、「コチラブジ、ゲンキデ」と言った常套文句だけになった。
 市の出入り口には衛兵が配置され、海水浴は禁止され、市内には一台の乗り物も入って来なかった。市が閉鎖されてから3週間目に死者の数は302名と報道されたが、人々の想像力に訴えかけることはなかった。市の人口は20万を数えたが、通常でも日に何人死んでいるかということは皆知らなかったからである。
 5月の終わり頃、知事は、食料の補給を制限し、ガソリンを割り当て制にするという措置をとった。電気の節約ということまで決められ、多くの商店や事務所が閉鎖され、そのために何もすることがなくなった大勢人々が街頭やカフェにあふれていた。カフェは、相当量のアルコール飲料がストックされていたので、市民の欲求を満たすことができた。そのため、毎晩相当の数にのぼる酔っ払いが街頭に溢れていた。
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 6月の終わりに激しい熱風が一日中吹き続き、犠牲者の数は週に700名と急上昇した。家々の扉は熱風とペストから身を守るため閉ざされていた。中から呻き声が聞こえたが、人々は気にも止めなくなっていた。新聞には、街から出ることを重ねて禁止し、違反者には投獄の刑をもって臨むとの布告が発表された。ペスト菌の媒介するかもしれない犬や猫が殺傷さていた。
 資産家のジャン・タルーはふらっとオランにやってきて、ペストに出会う。「私は死刑の宣告はまっぴらです」と言って保健隊を組織する。幾つかの班が組織され、市内の消毒や医師の手助けをし、患者の運搬などを行った。
 新聞記者のランベールは取材のためたまたまオランにやって来てペストに出会う。彼は盛んにオランからの脱出を試みる。観念のために死ぬのは嫌で、「自分の愛する者のために生きかつ死ぬ」という考えの持ち主だ。
 リューはランベールに、「人間は観念じゃない。今度のことはヒロイズムなどという問題ではなく、誠実さの問題だ」と言う。「誠実さとはなんですか」と問うランベールに「それは自分の職務を果たすことだ」とリューは言う。ランベールは「この街から脱出できる方法が見つかるまで、「僕も保健隊で働かせて下さい」という。
 8月の半ばには、死者の数も急増し棺も、墓地の土地も足りなくなった。死者は男女を問わず墓穴に埋められ、その上に石灰がまかれた。
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 リューの先輩のカステルという医師の血清が試されたのは10月の下旬のことだった。その実験台になったのは絶望的な症状と判断された少年だった。
 少年はか細い呻き声を出し、乱れた床の中で貼り付けにされた者のようなポーズをとった。
 「これで死ぬとしたら人より長く苦しんだことになる」と博学かつ戦闘的なイエズス会の会士で保健隊の一員でもあったパヌルー神父が言った。
 少年は持続的な悲鳴をあげていた。リューは歯をくいしばり、タルーは顔をそむけ、ランベールはカステルの傍の身を寄せ、カステルは膝に広げていた本を閉じ、パヌルー神父は「神よ、この子を救いたまえ」と唱えていた。少年の悲鳴はやがて弱まり、亡くなった。
 「こんなふうに子どもが責めさいなまれるようにつくられた世界を愛するなんて、死んでもできません」とリューが言った。「確かにあなたもまた人類の救済のために働いておられるのです」とパヌルー神父が言った。「僕はそんなおおげさなことを考えてなどいませんよ。人間の健康ということが僕の第一の関心事です」とリューが言った。
 市民たちは予言や迷信をたよるような心理的状態にあった。そんな折パヌルー神父が説教を行った。
 「あれは理解できる、しかしこれは受け入れることはできない、などということは言えないのです。全てを認めて受け入れるか、すべてを放棄するかのどちらかなのです。中間というものは存在しない。なぜならわれわれは、神を憎むか、あるいは愛するか、選ばねばならないからです。皆さん、神への愛は困難な愛です。それは自我の前面的な放棄を前提としております。しかし、この愛のみが子どもの苦しみと死を消し去ることができるのです。これこそ私が皆さんと分かちたいと願った困難な教訓であります」。これがパヌルー神父が行った説教のエッセンスだが、この説教を行った数日後に神父はペストと似た症状で死者の仲間いりをした。
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 ペストの始まった春から市立オペラ劇場で『オルフェイスとエウリディケ』の上演が続いていた。多くの市民には適度の刺激剤になっていた。
 リューが「心の平和に達するにはどうすればいいか」と聴くとタルーは「それは共感というものだ」と答えた。続いて「僕が心を惹かれるのは、どうすれば聖者になれるかという問題だ」とタルーは語をついでいう。リュー「君は神を信じていなのだろう」。タルー「だから、人は神によらずして聖者になりうるか----これが、今日僕の知っている唯一の具体的な問題だ」<二人の会話。
 クリスマスの頃、統計は病没の衰退を示していた。市の門が開かれる数日前、ペストは最後の攻撃を行い、タルーがその犠牲者となった。タルーの死を看取ったリューは、妻の死の知らせを平静な心で迎えることができた。
 年が明けて2月のある晴れた朝市の門が開かれた。外部から乗客を満載した列車がやって来た。ランベールの愛人もその中にいた。人々は踊っていたが、病人には休日はなかった。リューの職務は続いていた。
 この記録も終わりに近づいた。これを記録したのは医師リューその人であったことが明かされる。港からは祝賀の花火が打ち上げられる。その時リューはペストの記録を書き綴ろうと決心したのだ。
 即ち人間には軽蔑すべきものよりも賛美すべきものの方が多くあるということを記録するために。またペスト菌はけっして死滅することのないものであり、おそらくは人間に不幸と教訓をもたらすために、ふたたびネズミどもを呼びさまし、どこかの幸福な都市に彼らを死の使者として差し向ける日がくるであろうということを忘れさせないために。

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