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『脂肪の塊』<モーパッサン [あらすじ]

『脂肪の塊』あらすじ<モーパッサン
 セーヌ河畔にあったゾラの別荘メダンで、普仏戦争に取材した6編の作品が編まれ、「メダンの夕べ」と題して1880年に出版された。ゾラ・ユイスマンスの作品と並んでこの中に『脂肪の塊』があった。ゾラの『水車小屋の攻撃』も含まれたいたことを附言しておく。
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 普仏戦争のころのこと。プロシア軍の占領下にある、雪に降り込められたルアンの町から、ディエップに向かう馬車の仲に何人かの乗客がいた。
 成り上がり者で、利益にかけては眼から鼻に抜ける商人夫婦。製糸工場の持ち主で、県会議員の夫婦。ノルマンディー屈指の貴族で伯爵夫妻。共和国の到来を今や遅しと待っている民主主義者。それに修道女と、太っているので「脂肪の塊」という綽名を持っている娼婦たちだ。馬車の中はさながらフランスが背負い込んでいるブルジョア社会の縮図だ。
 足カイロまで用意して馬車に持ち込んだ夫人連は、唯一食料を持ち込んだ娼婦に空腹を満たしてもらう。貧窮の際の娼婦の寛大な恵みが、愛国心の前で同じ敵愾心に燃える貴族・ブルジョア・修道女を含む雑多な社会の団結を固くする。
 馬車はトートの中継地に入るが、そこで出発許可証の発行の検査にあたったプロシアの将校は「脂肪の塊」を見て欲情を催し、出発許可証と引き換えにこの女に商売を要求する。娼婦の愛国心はこの取引を拒絶する。無論馬車は出発できない。宿場に泊まることを余儀なくされた乗客の一行は、はじめは娼婦の愛国心に同調してプロシア兵の破廉恥な要求に憤慨する。
 しかし、2日から御者も降りてしまって雪に埋もれた馬車を見るにつけ、何時発てるかもしれない不安が人々の心を支配してゆく。それぞれ目的を持ってディエップからさらに非占領下のル・アーヴルへ向かおうとする一行である。彼らが発てないのは要求に応じようとしない娼婦のせいである。商売を拒絶する権利が、我々の足を釘付けにする権利が、娼婦にあるだろうか。娼婦だけを残して出発させてくれるように、という一行の願いも、人間の本性をわきまえた将校は聞きいれない。娼婦に商売をすすめる様々な手段が、娼婦を除け者にしたブルジョアの間で話される。ルアンであらゆる客をとっていた女がこの男は嫌だという権利があるだろうか。プロシア兵がいままでの男と劣ったところがあるのだろうか。愛国心はあらゆる犠牲を要求するのではないだろうか。修道女はル・アーヴルで傷病兵の待つ病院へ呼ばれてさえいるのだ。
 皆は娼婦を説得することを始めた。貞操を犠牲にして国家の危急を救ったローマやイギリスの夫人の話しが持ち出される。娼婦の自尊心はある時は慇懃に扱われ、道理に訴えられ、またあるときには居丈だけに扱われたりする。
 夕食の時娼婦は一同のところへ降りて来なかった。「かわいそうに」とか「プロシア兵のならず者め」など意見はまちまちであったが、晩は解放を祝してしての乾杯であった。
 冬の明るい太陽が雪を眩しく反射させている次の日の朝、馬車は再び一行を乗せて走り出す。「脂肪の塊」は来た時と同じ座席に座り、他の人々は、病毒を避けるかのようで何事もなかったように座席を変えただけだった。
 今度はブルジョアたちが用意よく朝食を食べた。誰も言葉をかけてくれない娼婦はただ食事風景を眺めているだけである。娼婦の眼か涙が落ちてくる。民主主義者のコリュニデは貴族やブルジョアへの当てつけにマルセイエーズを歌い出す。
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 この作品に師のフローベールは「正真正銘、巨匠の作品だ」と絶賛の評を送ったことは有名なことだ。この一作をもって「メダンの夕べ」は自然主義的要素を濃くした。
 ブルジョアの利己心のために自己の愛国心を犠牲にして泣いた娼婦は人間性の眞に迫った作品といえよう。
 なお「脂肪の塊」はアドリエンヌ・ルゲーという実在の人物がモデルだといわれている。




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