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『聖女アドラータ』<アポリネール [あらすじ]

 「ある日私はハンガリーのセプニ村にある小さな教会を訪れ、非常に尊いものとされている聖遺物箱châsseを見せてもらった」。案内人は「この中には聖女アドラータの遺骨が納められているのです」と説明し始め、聖女アドラータの経歴を説明してくれた。
 「私」はあまり関心がなかったのでうわのそらで説明を聞いたあと教会を出た。
 その時「いきな身なりのサンゴの丸い握りのついた杖」をついている老人が話しかけてきた。その老人はこの話は誰にも言わないでくれと念をおした上で話し始めた。以下は彼の話しの内容である。
 
聖女アドラータは私の情婦maîttresseだったと。私はいまでは80歳を越しているが、19歳の時彼女に出会って、それ以来彼女しか愛していなかった。私はセプニ近郊のさる金持ちの息子で医学を勉強していたが、体調を崩し、イタリアへ転地旅行にでかけ、ピサに行った。そこで彼女に出会い、彼女に生涯を賭ける気になり彼女を連れローマからナポリへ行き、さらにジェノヴァを経てハンガリーに帰るつもりだったが、ある朝私の横のベッドで彼女が死んでいた。
 私は彼女の死を隠した。それには「殺人犯の策略を用いる」しかなかった。そのためホテルの従業員たちは、彼女が朝早く発ったと思ったようだ。私は死体に防腐保存作業を施し、大型トランクにいれて彼女をホテルから運び出した。税関を通るときの難事があったが幸い無事通過した。ウィーンを通過したとき石棺を買ってそれに彼女を入れた。石棺の上にアドラータと刻みを入れ十字架を彫り、近くの畑にそれを埋めた。そして毎日そこへ行って祈っていたのです。
 一年が過ぎた。ある日ブダペストへ行かねばならなくなり、2年して帰ってみると彼女を埋めておいた場所に工場が建っている。絶望していた折、司祭が訪ねて来て、工場の基礎工事をしていたとき、畑の中からローマ時代のアドラータと名前が刻まれた石棺が出てきて、村の教会に運ばれ聖遺物箱の中へ納められたと話した。
 最初はその思い違いをただそうと思ったが、そこへ行けばいつでもアドラータを見ることができると思いなおし、そのままにしておいた。
 彼女は皆から敬愛され尊敬されるに値すると思っていた。私があれほど愛した女性は「尊者」vénérable(キリスト教での聖者・尊者・・・などの位を表す名称)の認定を受けました。それから「福者」béatifiaの列に加えられ、遺体が発見されてから50年後に聖者に加えられたのです。ローマでの聖列式に参加したあと、邦に帰ってから毎日教会へ行き聖女アドラータの祭壇でお祈りをしているのです。

 目に涙をためがなら、老人は杖をつき、「聖女アドラータ!聖女アドラータ!」と唱えながら去って行った。

『ロレット』<ヴィニー [あらすじ]

『ロレット』Laurette<Alfred de Vigny
(まだ若い軍人の)「私」はナポレオンの帝政時代に雨の降る日、馬の蹄の不具合のため連帯から少し遅れて一人リール(フランス北東部の町)へ向けて泥濘の中を歩いていた。前方に泥沼の中をこれも一人ロバを引いて歩いている軍人を見つけ追いついた。それは肩章から少佐だとわかった。ワインを勧められて少佐と歩いているうちに、ロバの曳いている荷物の中に女がいることを教えられる。
※ この出会った少佐が自分の過去を語るという形式で物語が進行する。以下は50がらみのこの少佐が語る物語である。

 自分はブレスト(ブルターニュの先端にあるフランスの軍港)生まれで、海が好きで商船に密航者として乗り込み、水夫となった。その後出世して艦長にまでなった。1797年ブリュメール28日にカイエンヌ(南米仏領ギアナの首都)へ向けて出航しようとしていたとき、囚人を一人乗せてゆくようにと執政政府から依頼されてその囚人を乗せた。同時に赤い封印で厳重に封をされた手紙を託された。ただしこの手紙は赤道あたりへゆくまでは開封してはいけないという条件がついていた。
 出航してしばらくして、自分の部屋に19歳という若い男がやはり若い妻をつれて入って来た。そしてすぐに我々は友達になった。二人は華やいだ可愛いカップルだった。自分の子どものように思えるくらいだった
 ところが二人は時々赤い封印をされた手紙のことが気になるようだった。
 二人は二羽の鳩のように仲睦ましく艦内で過ごしていた。しかし北緯1度、西経27まできたとき赤い封印をした手紙を開けなければならなかった。そこには執政政府がしたためた命令書があった。中味は「囚人のこの男を銃殺刑に処せ」というものであった。艦長の私は驚愕したが、手紙の内容を19歳の男に伝えた。だが19歳のこの男はそのことを冷静に受け止め、妻のロレットの後事を「私」に依頼するほどだった。
 刑を執行するのに艦長は夜をまった。そして部下にボートを下ろし、女を銃声の聞こえないところまで連れていけと命令した。

 そこまで話すと少佐の声は次第に薄れ、不明瞭になった。だが少佐は再び話し始めた。
 処刑を実行するのに艦首が選ばれた。ところが、ロレットを乗せたボートは闇の中を艦首の方へ来たのだ。それで、彼女は夫が処刑されて海に落ちる場面をみてしまった。
 その子は気がふれてしまった。自分はフランスへ帰国したとき、海が嫌になって陸軍へ配置換えをねがった。女の家族のもとへ行ったが、家族は気のふれた女を引き取ろうとはしなかった。それで「私」は彼女を手元におくことしたのだ。
 
話し終えて少佐はロバを止め荷車の中を見せてくれた。中には目だけになったような女がいて、ドミノゲームをやっている狂女を私は見た。彼女は二本の指にダイヤモンドの指輪をしていた。
それは、婚約と結婚の指輪だった。少佐は、それを手放すことなく年金でいままで暮らしてきたと話した。
 ロレットはあいかわずドミノをやっている。雨も降り続いていたがが、少佐をうながして道を前進することにした。進みながら彼は話し続けた。こんな状態でもう18年もなるということだった。
 目的のベチュウーンに着いたとき彼らとはぐれ、それきりになってしまった。
 その後の14年の軍隊生活でこれほど無頓着な自己放棄のできる人間にはであわなかった。
 その後偶然、ある老大尉からかれらのその後を知った。それによると少佐はワテルローの戦いで戦死し、連れていた狂女はアミアンの病院に収容されたが3日後に死んだそうだ。

『純なこころ』<フローベル [あらすじ]

『純な心』Un Cœur Simple de Gustave Flaubert

7月革命頃の港町ル・アーブル近くの底辺に住む老婆フェリシテの純情な一生を淡々と描写している。

半世紀の間ポン・レヴェックの町の主婦たちは家政婦フェリシテがいることで、オバン夫人のことを羨んでいた。
 二人の子どもを残して夫に死なれた夫人は二つの農園はそのままにして不動産は売り払いサン・ムレーヌの屋敷を立ち退き先祖からの所有地のある町の市場の費用の少ない家の方に移った。二階には奥様の部屋があった。三階にある住み込み家政婦フェリシテの部屋にはわずかに天窓から明かりが射し、牧場の方が良く見えた。
 フェリシテは毎朝ミサを欠かさず、夕方までよく働いた。50歳を超えるともう歳は幾つかわからないほど老けて見えた。
 彼女にも人並みに恋い物語があたった。両親と死に別れたあと妹たちとも生き別れになっていた。失恋のあと彼女は悲嘆し、給金を受け取るためポン・レヴェックへ赴いた。そこでオバン夫人と出会い彼女の家政婦としてその家の人となったのだった。
 オバン夫人のところには、ポールとヴィルジニーという7つと4つになるかならない子どもが二人いた。フェリシテにとって、子どもは貴重な品のように思われた。
 時々思いだしたように、オバン夫人の叔父にあたるダルマンヴィル侯爵が訪ねてくるが勝手な振る舞いをするので、フェリシテは侯爵を体よく追い払い戸を閉めてしまう。
 ところが代言人のプウレイさんには快く戸を開けた。「奥様」の土地の管理をしている司法官だからである。
 子どもの教育は役場に雇われている貧乏書生のギュイヨーに任せてあった。
 秋のある夕方、皆は牧場を抜けて家路についた。そんな時フェリシテが牛に襲われるということがあった。この出来事は何年かポン・レヴェックの話題になった。
 このことがあってヴィルジニーは神経を痛めた。医者のブウバールさんはツルーヴィルの海水浴を勧めた。
 オバン夫人はリエバールが連れてきた二頭の馬の一つに乗り、フェリシテはヴィルジニーを引き受けた。ポールはシャトワさんから借りたロバの背中に乗った。
 一行はダヴィッドの上さんがやっている金羊館の中庭に入った。ヴィルジニーは2・3日で元気になった。
 漁師たちの一人が、教えてくれてフェリシテは別れていた妹に出会うことができた。妹は乳飲み子を含んだ3人の子どもを連れていた。だが3人の子供たちはちょっとあつかましかったし、オバン夫人の気にいらなかった。ヴィルジニーが咳きをしだしたし、オバン夫人はポン・レベックへ引き揚げた。
 ポールの中学校を選ぶのにプウレイさんが調べてくれて、ポールはカンの学校に入った。

 クリスマスの日からヴィルジニーを連れてフェリシテは教会の公教要理に毎日通った。
司祭はまず聖史のあらましを話してくれた。フェリシテは何度か聴いているうちに公教要理も覚えてしまった。
 オバン夫人はヴィルジニーを嗜みのある子にしたいと思いオンフルールの修道院入れようと決心した。ある日ヴィルジニーを連れに来たと言って尼さんが馬車から降りてきた。ヴィルジニーの乗った馬車を見送りオバン夫人は失神した。その後オバン夫人はふさいでいる感じだったので、それがフェリシテには淋しかった。「気さんじ」のため甥のヴィクトールを時々訪ねて来させる許しをオバン夫人に願った。
 夏にヴィクトールの父親が息子を沿岸航海に連れ出した。その後甥が遠洋航路に雇われて遠くへ行くとうので、ポン・レヴェックからオンフルールへの4里の道を急ぎ足で歩いて行った。
 フェリシテにとってアメリカや、植民地や、西インド諸島などと聞けばそれは遠い遠い世界の果ての見当もつかぬところだった。
 それからはフェリシテは甥のことばかり考えた。またオバン夫人も娘のことが心配だった。ヴィルジニーは情が深い子であるが、体が虚弱だからである。
 フェリシテにとってはヴィルジニーも甥もどちらも劣らず大切だった。
 ある日オバン夫人が編み物をしているとき、手紙を受け取った。それには「ヴィクトールが出先で死んだ」とあった。
 その頃ヴィルジニーの体が弱ってきていた。ヴィルジニーが肺炎を起こした。尼さんが「お嬢様はただいまご他界なされました」と言った。オバン夫人は寝台のそばで崩れるようにして泣きじゃくった。二晩の間フェリシテは寝台の傍を離れなかった。亡き骸はオバン夫人の意志でポン・レベックへ連れ帰った。オバン夫人の嘆きはきりがなかった。数ヶ月の間夫人はまるで気の抜けたように、部屋の中にじっとしていた。フェリシテは何かと夫人に優しくした。
 フェリシテはヴィルジニーの墓に毎日のように出かけた。
 数年の月日が経った。親しい人が何人かこの世を去っていた。ポン・レベックの町にも7月革命の知らせがもたらされた。いろいろあったがオバン夫人を唯一慰めるのは息子からの手紙であった。だがその息子は酒場に入り浸って何をやっても長続きしなかった。
 オバン夫人とフェリシテは二人でよく散歩したが、いつもヴィルジニーのことを語りあった。ヴィルジニーの部屋で遺品を眺めていたとき、二人は上下の関係を忘れて、互いの苦悩を泣きつくすまでひしと抱きあった。それから後はオバン夫人を動物的な真心と宗教的な尊敬を込めてフェリシテは労わった。
 フェリシテの情愛はさらにひろまった。コレラ患者の世話もしたし、ポーランド人の爺さんの世話もした。ところがこの老人もやがて死んでしまった。フェリシテはミサをあげた。その日のことフェリシテに大きな幸福が訪れた。群長夫人からオバン夫人にオームをいただいたのだ。この鳥は長い間フェリシテの空想を捉えた。ところがオームが糞を撒き散らしたり、水鉢の水を撒き散らしたりするので、とうとうオバン夫人はこれをフェリシテに呉れてしまった。オームの名はルルといった。フェリシテはまずオームの教育にかかった。
 オームを放し飼いにしていたので、オームがいなくなった。あちこち探しまわったがオームは見つからなかった。ところがある日オバン夫人と話し合っているとき、オームがフェリシテの肩に停まり帰ってきた。
フェリシテは咽頭炎を患い耳が遠くなった。やがて聞こえるのはオームの鳴き声だけだった。フェリシテとルルは何かしら話し合った。フェリシテは孤独な生活の中でオームが殆ど息子か恋人のようになった。しばらく一緒に生活したあと、オームは金網に爪を掛けて死んでいた。フェリシテが悲しんでいるのを見てオバン夫人は「剥製にでもしたら」と言った。フェリシテは自分でオンフルールまで手かごに入れてさげて行った。剥製になったルルを部屋の暖炉の上に置いた。フェリシテは毎日夢遊病者のような日々を送った。教会で精霊を見ているうちに、それが何処となくオームのように見えた。精霊とルルが一緒に見えるようになった。
 大きな事件が一つ起こった。それはポールの結婚だった。ポールも堅気になって母親のもとへ妻を連れてきた。嫁はポン・レベック風に話し、お姫様を気取ってフェリシテの気を悪くした。オバン夫人も嫁が帰るとほっとした。
 次の週に代書人のプウレイさんが死んだ。いろいろ悪事が明らかになった。隠し子があったこともわかった。
 そのあとオバン夫人も72歳で亡くなった。誰も泣くものはいなかったのにフェリシテはオバン夫人のために泣いた。十日後に相続人夫婦が来た。この家が売りだされることをフェリシテは知った。フェリシテはよろけて椅子に腰掛けて座った。彼女はオバン夫人から形見に380フランの年金をもらった。衣類は一生着るだけあった。家は借り手も買い手もつかなかった。
 フェリシテは復活祭のあと血をはいた。ルルを引き取ってくれるように司祭に頼んだが、
しばらくしてフェリシテも息をひきとった。
 

『知られざる傑作』 <バルザック [あらすじ]

『知られざる傑作』Le Chef-d’Œuvre Inconnu
「『知られざる傑作』はバルザックの短編の代表作としてあげられるもので、数の知れた人間の力量とかぎりない欲望との戦いは、彼が好んでとりあつかった主題であった」と文庫本の解説者は言っている。長編をたくさん世にだしたバルザックとしては珍しいことかも知れない。
 
大成してフランス古典主義絵画の領袖といわれる若きプーサンが画家ポリュビュスのところを訪ねようとして家の階段を上がっているとき、後にブレンホーフェルと名があかされる一見みすぼらしい老画家が案内役のようにかれをポリュビュスのところへ導く。
 ポリュビュスはこの老画家に対して敬意を表しているのか恭しい挨拶をする。老画家は自己陶酔型の芸術家なのか、自分のことを大家のように言い、「芸術の使命は自然を模写することではない、自然を表現することだ」などとひとしきり彼の芸術論を披瀝したりする。
 イタリア派の技巧様式をフランドルへもたらしたマビューズの弟子だとも言い自己宣伝する。
 青年プーサンはポリュビュスの絵を見て「この聖女はじつに神々しいではありませんか」と賞賛する。ここで老人は青年に注意を向け、「絵を描いてごらん」と試すように言う。青年は「マリア」の絵を素描する。老人は興味をもって青年の名前を聞く。ここで青年が「プーサン」と名乗る。そして老人は絵についても「悪くはないね」と褒めたような言い方をする。しかしあいかわらず自分が製作中の「美しき諍(いさか)い女」Belle-Noisieuseにはかなわない、と自我自賛する。しかし青年の素描画を金貨2枚を出して「買おう」とさえいう。
 3人は一旦ポリュビュスの家を出て、ブレンホーフェルのアトリエへ行く。
 そこでポリュビュスと青年プーサンはブレンホーフェル老人の絵を見せてくれと頼む。しかし老人はかたくなに見せることを拒否する。
 青年プーサンとポリュビュスの2人はブレンホーフェルのところを出て別れ、プーサンは自分の家に帰る。そこには恋人のジレットが待っていた。ポリュビュスは画家としての自信ができたことを告げると同時に、ジレットに老ブレンホーフェルのモデルになってくれと頼む(ジレットが女のモデルとして完全なのだからという理由で)。ジレットははじめ拒否するが最後に承諾する。
 そのことにポリュビュスも賛成で、ジレットが老ブレンホーフェルのモデルになることの代償として、ブレンホーフェルの「美しき諍(いさか)い女」を見せてくれることを条件にした。しかし、老人はかたくなに見せることを拒否する。
 老画家は密かにジレットを描いているようだが、様子がわからない。もし老画家が変な気をおこしたら、アトリエへ突入する気構えで、ポリュビュスは短剣のつばに手をかけて様子をうかがっている。
 やっとアトリエに入って2人の認めたものは、カンバスの隅に見せている一本のむき出しの足でしかなった。老画家は架空の女に向かい微笑みかけていた。「おそかれはやかれ、このカンバスには何もないことに気づくのだ」とプーサンは叫んだ。
10年もかかって老画家は何も描いていなかったのだ。彼は「美しき諍(いさか)い女」のモデルだった「カトリーヌ」を緑色のセルの布で覆っていた。
 老画家と別れてから、ポリュビュスは気がかりなので、ブレンホーフェルに会いに行った。そして、そこで彼は老人が絵をみんな焼き捨てて、死んでいることを知った。

 バルザックの作品は状況描写・主人公を取り巻く諸々の素材描写が細かく詳しいことは誰もがいうところだが、この短編にもその特徴は遺憾なく発揮されている。

 
 

『ピエールとリュス』<ロマン・ロラン [あらすじ]

『ピエールとリュス』Pierre et Luce あらすじ

 第一次戦争下の雪に覆われ悪夢のような雰囲気のパリ。まだ18歳のピエールはメトロの中に呑みこまれようとしていた。 戦争は4年続いていた。ピエールのような少年は嫌悪と恐怖を感じていた。国家が彼の肉体を必要としていた。
 地下鉄の中でピエールには一人の少女が目にとまった。まだ彼女は彼の存在に気づいていなかった。次の駅では混雑があり、天井の上で爆発があった。一人の男が階段をころがり落ちた。恐怖の叫び声の中で、触れた手を握った。それはこの彼女のものだった。彼女は手を引っ込めなかった。二つ目の駅で彼女は彼を見ることなく、去っていった。彼は外に出た。そこには恐怖に怯えた町があった。ピエールはクリュニー広場の近くで、両親のところで住んでいた。ブルジョアの家庭だった。
 ピエールの両親は良きキリスト教徒であると同時に共和主義者であった。マダムオービエは戦争に対して反対であった。
 ピエールの苦悩を理解しているのは、兄であり、ピエールはその兄を愛していた。 ピエールは書類や本で一杯の部屋にいた。上の階では、居なくなった息子を待って、気の狂ったように徘徊している老人がいる。
 ピエールの知性はしぼんでいたが、本や思想に身を入れていた。人生に対する疑問はあったが、「人生には意味がある・・・」。
 恋いに恋する思春期に、貪欲だが不安定な心が次々と彼(ピエール)の心を捕らえる。
 ピエールはまだ恋いを知らないが、死の匂いのする中で恋いが生まれた。
 ピエールはセーヌの河岸に沿ってぼんやりとブキニストの本を見ている。彼は待っていた少女の姿をそこに見た。彼女は脇にデッサンのボール紙を抱えて階段を降りてきた。二人の目が会ったが、彼女はすぐに去って行った。リュクサンブール公園を歩いている時また彼女に出会った。今度は彼女に話しかけた。「ここに座らないかって」。
 公園のベンチに座りお互いが見知らぬ少年と少女は話し合う。お互いに名前を言う。少女はへぼ画家でリュスだという。また会うことを約束してリュスはメトロに乗って去ってゆく。二人はそれぞれ幸福な気分だ。
また二人は会った。リュスは、母が軍需工場で働いているという。ピエールはちょっと非難めいたことをいう。でも「生活のためには仕方がないでしょう」とリュスはいう。二人はだんだん打ち解けて、キスをした。
 冬の公園。だが二人の心にあるものを消すことはできない。
 彼らはある時教会に入った。リュスが「徴兵されるの?」と聴く。ピエールは「6ヶ月後に」という。電車の停留所のところに着いた。また会う約束をした。リュスは「今度会うときは写真を持って来てね」という。「写真なしでは、あなたのポ^トレートは描けないからだ」と。
 ピエールは(リュスの)家を探して町中を歩いて行く。それらしき家を探しあてピエールは中へ入って行く。リュスが出てきて迎える。リュスの部屋にはみすばらしい画架しかない。ぎこちない感じだが、リュスが頼んだ写真をピエールはリュスに渡す。これで雰囲気が和らいだ感じになる。
 リュスはポートレートを描き始める。ピエールは話すことができなくて、リュスだけが話している。遠くで大砲の音が聞こえる。そのため死んで行くひとがあるのだ。
 二人はリュスがいれたショコラを飲む。ピエールがリュスに「母とはうまくいっているのかい」と尋ねる。リュスは「そうだ」というが同時に「すべてが変わった」とも言う。すべてのことは昔のようではない。「戦争このかたよ。女は愛人をもち、男たちは女を忘れる。親子の間も同じことよ」。「可愛そうな母はまだ若いが、幸福じゃない」と。
 夜になった。ピエールは立ち上がる。リュスも引き止めない。二人は「さようなら」という。ピエールは振り返ってみた。リュスのシルエットが見えた。二人はガラス越しにキスをする。
 ドイツの大攻撃が始まっていた。それはパリの街を揺るがしていた。人々はカーヴに身を潜めていた。そんな午後ピエールとリュスはシャヴィルの森へ行くことを決めていた。森に到着したが彼らの足はふやけ、彼らはよろめいた。彼らは土手に登り、雑木林の中へ入った。ピエールはリュスの膝に頭をのせ、リュスは彼を愛撫した。
ピエールは彼女を腕に抱きしめようとしたが、リュスは拒否した。
 パリに帰って彼らは毎日のように会っていた。二人は将来の住まいのことを夢見ていた。しかしそれは夢でしかなかった。
 ある日二人はノートルーダム寺院へいった。彼らは側廊の一つに座った。二人は結ばれることを誓う。手を取り合って。その時突然巨大な建物が崩れ落ちた。

 「戦争反対」の理念が先行して、登場人物の命が吹き込まれていないような感じだ。いかにもロマン・ロランらしい作品と言えるかもしれない。

『水車小屋の攻撃』<ゾラ [あらすじ]

『水車小屋の攻撃』L’Attaque du Moulin
                            一章
1877年『居酒屋』の大成功後、ゾラがパリ近郊のメダンに別荘を買い、彼を師と仰ぐ若いグループがそこに集まった。1880年ゾラの発案で「メダンの夕べ」Les Soirés de Mèdanというタイトルで文集が出された。その中で後世に残る秀作はモーパッサンの『脂肪の塊』と言われているが、ゾラが出品した『水車小屋の攻撃』も小品ながらキラリとした輝きもった短編である。

 時代は普仏戦争の頃。ロレーヌ地方の寒村が舞台。
メルリエ父ツァンの水車小屋は、その晩お祭り騒ぎだった。中庭に3つのテーブルが置かれ会食者を待っていた。みんなは当日メルリエ父ツァンの娘のフランソワーズと、他所から流れもののようにふらっとやって来たが、なかなかイケメのドミニックとの婚約が執り行われようとしていた。
 メルリエ父ツァンの水車小屋は楽しげだった。それはロクリューズ村の真ん中にあり、大きな川の曲がり角にあった。村には一本の道しかなく、その両側にあばら家が立ち並んでいた。川の曲がり角のところにモレル川に沿って大きな木々が鬱蒼としており、すばらしい木陰をつくる谷間となっていた。ロレーヌ地方にはこれほど素晴らしい片隅はなかった。
 20年このかたメルリエ父ツァンはロクリューズ村の村長だった。マドレーヌ・ギヤールと結婚したとき、彼女は持参金として水車小屋を持ってきたのだ。メルリエ父ツァンには二本の腕しかなかった。妻は死んでしまったがメルリエ父ツァンはよく働き、水車小屋を守った。いまでは大変年をとり、決して笑わなかったが内面は陽気だった。
 娘のフランソワーズは18歳になっていたが、美しいとは言えなかったが、その後、年とともにぽっちゃりとし鶉のようになった。いつも笑うのはそれは他人のためだった。
 当然近くの若者たちは彼女に言い寄った。けれどもフランソワーズはスキャンダラスな結婚を選んでいた。相手はモレル川の反対側に住んでいる背の高いドミニックという青年だった。彼はロクリューズ村のものではなく、叔父の財産を受け取るためにベルギーからやってきた若者だった。財産の処理が済んだら邦へ帰ると言っていた。
 しかしこの邦が気に入ったのか動こうとしなかった。畑を耕したり、漁をしたり、狩をして暮らしていた。みんなは密猟者扱いした。要するに彼は怠け者だった。草の上で寝転がったりしていたからである。まともな青年とは見えなかった。狼と取引して暮らしているのではと言った噂だった。けれども村の娘たちは彼を弁護した。彼はいろんな点でイケメンだったからである。フランソワーズは、彼としか結婚しないとメルリエ父ツァンに宣言した。
 メルリエ父ツァンがどんな打撃を受けたか想像するにあまりある。メルリエ父ツァンを苦しめたのは、あの密猟者のごろつきがどうして娘を誘惑したかということを知ることだった。ドミニックは水車小屋へは来ていなかたった。二人はモレル川越しにみつめ愛をはぐくんだのだ。
 メルリエ父ツァンはある朝ドミニックに会いに行った。3時間ほど話しあったあとでメルリエ父ツァンはドミニックを息子扱いしていた。ドミニックが純朴な青年であることを知ったのだった。村の女たちは悪口を言った。しかし、メルリエ父ツァンは言わせるままにしていた。自分も結婚したときには。文無しの若造だったのだ。そのうちドミニックは水車小屋で熱心に働くようになった。
 ある日中庭にテーブルを並べて、メルリエ父ツァンはフランソワーズの結婚のことを宣言した。村人たちは大いに飲み、笑った。若い二人は幸せそうだった。ある老農夫が、近づいている戦争のことについて話した。皇帝(ナポレオン三世)がプロシアに宣戦布告したのだ。
                              二章
 一ヵ月後、ロクリューズ村は恐怖の中にいた。プロシア兵が皇帝を倒しロクリューズ村へ迫っていたのだ。村人たちは兵隊たちの足音で目覚めた。しかし、それはフランスの分遣隊だった。水車小屋に駐留するという。隊長は水車小屋のあちこちに兵隊を配置した。村人たちは戦うのかと聴いた。隊長はそうだと言った。
 メルリエ父ツァンは若い二人に結婚は明日に延ばすといった。
 お互いの姿が見えないまま銃撃戦がはじまった。フランソワーズとドミニックが一人の少年兵に目を留めたが、その少年兵は撃たれた。彼はこの戦いの最初の犠牲者だった。銃撃戦がまたあった。ガニーの森から出てきた二人のプロシア兵が倒れて死んだ。
 しばらく撃ち合いが続いた。水車小屋は包囲され、穴だらけになった。フランスの士官は4時間はもたないだろうと言った。
 水車小屋の中では2人が死に、3人目が負傷した。フランソワーズは恐ろしくなった。部屋は破片で一杯になった。フランソワーズは額に負傷した。それを見てドミニックは鉄砲を撃ちまくった。フランス兵たちは水車小屋から退却した。隊長はメルリエ父ツァンにまた来るからと言って出て行った。
 ドミニックはフランス兵たちが出ていったあとも、フランソワーズを守るために撃ち続けた。そこへプロシア兵たちが入ってきてドミニックは取り押さえられた。フランソワーズは懇願したが、プロシア兵の隊長は、ドミニックに2時間後に銃殺だと宣言した。

                           三章
 ドミニックは捕らえられた。それはプロシアの規則だったが、全フランス人が正規の軍隊に入っているわけではないが、武器を執ったものは、すべて銃殺されるというのであった。
 プロシア士官は「2時間後には銃殺だ」と言った。ドミニックは隣の部屋へ移された。 夜になった。12人の兵士が銃を肩にして出てきた。フランソワーズは震えた。
 士官が出てきて、ドミニックに「朝まで猶予を与えてやる」と言った。メルリエ父ツァンはフランソワーズを部屋に連れて行き、娘をそこに閉じ込めた。フランソワーズの部屋の窓の下に鉄のはしごがあった。
 フランソワーズは梯子を使って降り、ドミニックに逃げるよう勧めに来たという。 フランソワーズは逃げてくれと頼む。フランソワーズが相変わらず懇願するので、ドミニックは承知した。ドミニックはフランソワーズが部屋へ帰るのを見届けて逃げた。
                            四章
 夜明けにわめくような声が水車小屋に響いた。フランソワーズは中庭におり、プロシア兵が死んでいるのを見て震えた。
 プロシア兵の死体を前にして(プロシアの)士官がメルリエ父ツァンを呼び、殺人犯を探す協力をしてくれという。殺された歩哨の喉にナイフが刺さっていた。士官は空になったドミニックの部屋を見て事の次第を全て理解した。
 士官は「君達は共犯者だ」だと言い、怒りの頂点で「あ奴を我々に引き渡せ」という。「さもなければ君達はあ奴の代わりに銃殺だ」。銃殺隊が揃った。メルリエ父ツァンは「もし一人誰かを必要とするなら私をやれ」という。それを聴いてフランソワーズは「ドミニックを逃がしたのは私だ、私が有罪だ」と事実を告白する。メルリエ父ツァンは「嘘だ」というが、フランソワーズはそれを否定する。フランソワーズの懇願に対して士官は「ドミニックを連れてきたら、お父さんを解放しよう」とフランソワーズにいう。フランソワーズは「どちらとも選べない」という。士官は「2時間の猶予を与えるから、ドミニックを探して来い」という。
 メルリエ父ツァンはドミニックが幽閉されていた部屋へ連れて行かれた。フランソワーズは中庭でじっとしていた。フランソワーズはどうしていいか解らなかったが、ドミニックに会いたいので、ふらりと庭を出た。
 フランソワーズは水車小屋の水門のところまで降りた。そこに多量の血痕のあとを見た。それに従って森のはずれまで来た。
 夢遊病者のように彼女は森の中を彷徨い歩いた。以前ドミニックと行った穴の中へも行ったが、そこは空だった。彼女はドミニックを銃殺刑にするために探しているのか自問する。でも時間が過ぎると父が殺される。彼女はジレンマの中にいる。彼女は気が狂いそうだった。突然ドミニックのフランソワーズを呼ぶ声が聞こえた。ドミニックに会えたのだ。2時間がもう過ぎようとしていた。フランソワーズはドミニックと別れるとき、「私たちがあなたを必要とするなら、部屋に行って、ハンカチを振るわ」とフランソワーズは言う。
 フランソワーズは水車小屋のところへ帰ってきた。フランソワーズは涙をながし、跪いた。フランス軍がくるまで時間寺稼ぎをしたかった。
 プロシア兵たちがメルリエ父ツァンを銃殺するために準備をしている。フランソワーズはドミニックと一緒に死にたかった。部屋へ登った。その時ドミニックが現れた。プロシア兵は喜びの声をあげた。ドミニックは途中でボンタン爺さんに事情を聞いたのだという。
                             五章
 (プロシアの)士官はドミニックを部屋に閉じ込めていることで満足していた。フランソワーズは中庭にいてフランス(兵士)の来るのを待っていた。プロシア兵たちは出掛ける準備をしていた。士官はドミニックと部屋に閉じこもったままである。
 ドミニックは死んでもいいのだというが、士官はモントルドンへの道を教えたら命を助けてやってもいいという。そうこうするうち雷がなる音と同時に「フランス兵だ。フランス兵だ」という叫びが起こる。実際それはフランスの兵士たちだった。プロシア兵たちは右往左往している。だがまだ砲撃は始まっていない。
 士官は銃殺隊にドミニックを処刑する命令を下す。ドミニックは地面に倒れた。フランソワーズは呆然とするが、士官は人質としてメルリエ父ツァンを捕獲する。
 今は水車小屋を守っているのはプロシア兵たちで、攻めているのはフランス兵たちだ。激しい砲撃がロクリューズ村の大通りを一掃した。戦闘は長くは続かなかった。水車小屋は見る影もなくなり、残骸はモレル川に流れている。フランソワーズの部屋はカーテンが引かれたままだ。フランス兵たちの攻撃で森もかなり痛んだ。メルリエ父ツァンも流れ弾で死んだ。フランソワーズはドミニックとメルリエ父ツァンの死体のあいだで呆然としている。そのそばをフランスの士官が「勝利だ、勝利だ」と叫んで通って行く。

『ヴァニナ・ヴァニーニ』<スタンダール [あらすじ]

「ヴァニナヴァニーニ」Vanina Vanini
 スタンダールはイタリアの小漁村チヴィタ・ヴェッキアに役人として赴任していた時にイタリアの古文書を読み漁っていたと言われている。この作品もそうしたものの一つが素材になっているのだろう。スタンダールの登場人物は、ことにあたって明確な態度をとりメリハリがある行動をするのが特徴である。この「ヴァニナヴァニーニ」の女性主人公ヴァニーナもそうした人物の一人だろう。
 
182ж年の春の一夜、かの有名な銀行家Bжжж公爵が新邸の披露のため舞踏会を催していた。そこにはイギリスからも金髪の美女たちが贅を凝らして来ていた。中でも眼の輝きと漆黒の髪とでローマ人だとわかる娘が父親に連れられて来ていた。高慢さが彼女の動作の一つ一つに輝いていた。彼女は当夜の女王ということになった。
 こうした最中サン・タンジェロ要塞に監禁されていた若い炭焼党員が変装して脱走したという噂が流れた。一緒に踊っていた貴公子から「あなたのお気にいるのはどんな男でしょう?」と尋ねられたヴァニーナは「脱走したという炭焼党員です」と答える。
 ※( 炭焼党(員)。イタリア語でCarbonariという。19世紀初頭に南イタリアでできた秘密結社。自由主義的政治団体に変わっていってウィーン体制に反対する自由主義運動の中心的な役割を担ったが1830年頃には衰退した党)
 ヴァニーナは当夜の舞踏会の第一の美女として「女王」に選ばれた。父の公爵は結婚を急いだがヴァニーナはOuiと言わない。ローマ人を軽蔑しているからである。
 ある日ローマから帰って来たヴァニーナは、父の開かずの部屋に灯かりともっていることに気づきその部屋の鍵を手に入れる。中に入るとベッドの上に血まみれの女が横たわっていた。ヴァニーナは父の留守の間にその小さなテラスに登るのを常としていた。父がこの女の部屋に時々食料を持って入っているのが見られた。ある晩部屋の窓にそっと顔を寄せていると、女の目とばったりとあってすべてがバレテしまった。とっさにヴァニーナは「あなたが好きです」という。そして自分の身分を明かす。「女」は彼女に「あなたがここへくることが知れない方がよい」という。「女」は傷が痛むといい、口は血でいっぱいになっていた。
 けれども医師に診て貰えない事情があるという。「女」は変装していたが自分は男で炭焼党員のミッシリッリといい、囚われていたところから命がけで逃げてきたのだと告白する。
その折に傷を負ったのだと。そして馬車に乗っていたヴァニーナの父に偶然助けられたのだと。ヴァニーナはそれを聴きあわただしく部屋を出て行った。そのあとで一人の外科医があらわれミッシリッリに刺絡をし、手当てをしてくれた。ヴァニーナは部屋のところまで来て様子を窺がっていた。友情が恋いに変化したようだ。その後ヴァニーナは何度も彼の部屋を訪ねた。彼は回復していた。彼のほうでもヴァニーナに激しい恋心を抱くようになっていた。ヴァニーナの恋いは激しく燃え上がっていたが、男は冷静な態度を崩さなかった。ヴァニーナの誇りは一歩一歩崩れかかっていた。彼女はついに恋を打ち明けた。彼女の狂気の沙汰は大きかったが、幸福だった。一方、ミッシリッリの方も19歳という若さであったが激しい恋いに狂った。4ヶ月が過ぎたころ、ミッシリッリには炭焼党員としての使命が思いだされイタリアのことを思った。彼は復讐をするためにロマーニャへ行くという。ヴァニーナは武器とお金を提供するという。そして結婚もしたいと。だがミッシリッリは祖国に身を捧げたものとしてはその結婚の申し出は受けられないという。ヴァニーナの自尊心は傷つけられ凍る思いだったが、ミッシリッリの腕の中に身を投じる。ヴァニーナは一緒に行き、自家の出先の城に逗留し、そこで一緒に暮らすとことを二人は誓う。
 だがミッシリッリはそんな行為は野蛮だと思い祖国と自由のことに思いをはせる。ヴァニーナは彼の心が自分から離れないことを確信する。ミッシリッリはローマを去って行った。ミッシリッリは家族のもとに帰った。みんなに歓迎されたが、ある時カラビニニエール(憲兵)に追い詰められたミッシリッリは拳銃で二人を殺す。ミッシリッリに賞金がかけられた。ヴァニーナはロマーニャに姿を現さなかった。ミッシリッリは身分の相違のことを思い虚栄心を傷つけられた。そうこうするうち結社の首領が逮捕され、自分が20歳の青二才にも拘わらず首領に選ばれた。そして義務を優先しローマの娘のことは忘れてしまった。
 二日後ミッシリッリはヴァニーナ姫がサン・ニコロ城に着いたことを知った。彼は翌日彼女に会った。結社を纏めるのに充分なお金を持ってきてくれていた。陰謀が成就しようとしていた時、結社の首領たちが逮捕され組織は麻痺した。
 ロマーニャに着いてすぐヴァニーナはミッシリッリが愛を忘れたように思った。男の愛をかち得られなかったことを思ってほろりとした。ヴァニーナはもの思いから醒めると、お城に来て24時間一緒に過ごそうと申し出た。男は承諾した。男の部屋を出るとき。ヴァニーナはその部屋に鍵をかけた。そして昔自分の小間使いだった女のところへでかけ、そこにあった祈祷書の欄外に今夜炭焼杜党員たちが集合する場所とミッシリッリを除いた他の炭焼杜党員たちの名前と住所を書いた。そしてこの祈祷書を小間使いに州総督と枢機卿に渡してほしいと頼む。全てが順調にいった。総督はそのページを読み女に返した。女が無事ヴァニーナのところへ帰ったとき、ヴァニーナはこれで男(ミッシリッリ)は自分のものと思った。そしてサン・ニコロ城へ行こうと言った。ミッシリッリは同意した。馬車はすぐ近くに用意されていた。
 サン・ニコロ城へ着くとヴァニーナは自分のしたことに良心の呵責を感じていた。男にある一言をいえば、永遠に自分たちはダメになると思った。
 その夜ヴァニーナの召し使えの一人が部屋には入ってきて、19人の炭焼杜党員が包囲され9人は逃げたが、残った10人は逮捕されたことを知らせた。そのうちの一人は井戸に身をなげ自殺したことも告げた。ヴァニーナに色を失った。だがミッシリッリは彼女の「裏工作」を知らなかった。ミッシリッリは「どうしようもない」と言った。彼女はちょっと出かけたあと部屋に帰ってみると、部屋はもぬけの空だった。部屋の隅に置手紙があった。そこには「自分は総督に自首すること。裏切ったのはあの井戸に身を投げた男に違いない。私を愛して下さるなら復讐をして下さい」という趣旨のものだった。彼女は椅子に崩れおちた。しかし神様に誓いミッシリッリを自由の身するおことを決心する。
 一時間の後彼女はローマへの途上にあった。ローマでは父がリヴィオ・サヴァッリ公爵との結婚を決めていいた。ヴァニーナは父の一言を聞いてあっさり承諾した。彼女はドン・リヴィオ・サヴァッリは伊達男であったが、軽佻な男として通っていたことを知っていたので利用しようと考えたのだ。
 彼女は彼に「この間フォルリで捕まった炭焼杜党員たちはどんな処遇を受けているのでしょう?」と探りをいれた。ドン・リヴィオ・サヴァッリは「全員脱走した」と告げた。だが翌日に来て「前日言ったことはすべて間違いであった」という。さらに彼は伯父の部屋の鍵を手に入れ、なかで書類をみると炭焼杜党員の大半はラベンナかローマで尋問をうけるが、フォルリで捉まった9人と自首した首領のミッシリッリはサン・レオ城で監禁されている」と記してあったと付け加えた。
 この話を聴いてヴァニーナはその「公文書」を見たいと言い、さらに伯父の部屋にも入りたいとつけ加えた。それから2・3日後サヴェッリ家のお仕着せを着て男装したヴァニーナは司法大臣の極秘の書類を見た。その中に「被告ピエトロ・ミッシリッリ」という記事があった。ヴァニーナは上機嫌になりそのフランス大使の邸で開かれた舞踏会でドン・リヴィオと離れずに踊った。夫になるドン・リヴィオは幸福に酔いしれた。すかさずヴァニーナは父の召使が「あなたの伯父さんのローマ総督の家にやとわれたいというし、もう一人はサン・タンジェロ城で働きたい」と言っていることを告げる。ドン・リヴィオは「私がその二人を雇いましょう」というがヴァニーナは指定したところではダメだと突っぱねる。
 ヴァニーナはこの計画は無謀だろうかと一瞬悩むが、偶然が彼女に慈悲を垂れたくれた。ドン・リヴィオは知っていることをもらす。「結社の10人はローマに護送され、判決が決まったらロマーニャで処刑されることになるだろう」と。
 ミッシリッリがローマに着くことになっている前日、ヴァニーナは口実を設けてチッタ・カステッラーナへ赴いた。ここで10人は一泊することになっていたのだ。ヴァニーナは鎖に繋がれて二輪馬車に乗っているミッシリッリをチラッと一目見た。
 愛人の姿を見てからはヴァニーナには新たな勇気が沸いた。ヴァニーナはあらかじめサン・タンジェロ城の教戒師を買収しておいた。炭焼杜党員たちの裁判は長くかからなった。裁判官たちは全員に死刑を宣告することをのぞんだが、司法大臣は退職後枢機卿になる「天下り」人事のことを考えて極刑を減刑する判決を下した。ただし、ミッシリッリだけは例外だった。
 翌日、司法大臣のカタンツアーラ猊下が真夜中頃自邸にもどり衣服を脱ぎ捨てるとそこに人影が現れた。ピストルを人影に狙いをつけると、それはヴァニーナだった。大臣は腹を立てたがヴァニーナはなだめにかかりミッシリッリの命ごいをした。それは脅迫ともとれる言い方だったが大臣はヴァニーナの美貌に気持ちの腰が折れた。大臣はミッシリッリの命を助けることを約束した。ヴァニーナはお礼の印に大臣に接吻をした。
 夜中の2時頃大臣はヴァニーナを部屋から送りだした。翌日重苦しい気持ちで教皇の前にまかり出ると、意外なことに教皇の方からミッシリッリの減刑を宣告され、書類に署名した。
 ヴァニーナは炭焼杜党員たちの結社を告発したこと、裏切り行為をしたことに苦しみミッシリッリの気持ちの離反を恐れた。ヴァニーナはミッシリッリが移送されるとき、鎖でがんじがらめになっている彼を見た。真夜中に礼拝堂のところに二つの影が見えた。それは牢番とミッシリッリだった。ヴァニーナはミッシリッリの頚に身を投げ彼を抱擁した。ところが男の態度は凍るように冷たかった。
 ミッシリッリは「自分はヴァニーナの愛にふさわしくない」と彼女に自分の気持ちを吐露する。ヴァニーナは彼の変化を見て立ち直ることができなかった。事実は死期が近づくにつれてミッシリッリの心がイタリアの自由に対する情熱と宗教的原理からくるものであった。ミッシリッリはヴァニーナを愛しているが、神様のおかげで、人生の目的は牢獄で死ぬかイタリアの自由のために死ぬかだと断言する。さらに「義務というものは残酷なものだが、それ以外にヒロイズムはあるのだろうか?どうかもう私に会うことは考えないで下さい」という。ヴァニーナは打ちひしがれていた。ヴァニーナは思いあまって、彼を助けるために裏工作をしたことを白状する。ミッシリッリは激高してヴァニーナを打ち殺そうする。牢番が彼を押さえて事なきをえるが、ミッシリッリは遠去ってゆく。
 ヴァニーナは呆然自失した状態でローマに戻った。その後の新聞記事によると、ヴァニーナはドン・リヴィオ・サヴェッリ公爵と結婚したことが伝えられていた。


オノレ・ドゥ・バルザック [生涯]

Honoré de Balzac(1799-1850)
 パリ南西部トゥールに生まれた。パリに出て20歳の時に文筆で立つと宣言。生計費を得るために匿名で通俗小説を書く。さらに経済的安定を得るため出版業・印刷業・活字鋳造業とつぎつぎに手を出すがすべて失敗し、約6万フランの負債を生涯にわたって背負うことになる。
 30歳の時新たな決意で歴史小説『ふくろう党』でデビュー。以後その死まで約20年間、濃厚なコーヒーをがぶ飲みしながら、一日多い時で18時間、平均で12時間働き、小説・戯曲・評論・雑文に超人的執筆活動をする。
 1834年『ゴリオ爺さん』執筆に際し<人物再登場>の方法を案出、「19世紀フランス社会史」を描くという膨大な意図を体系化するために、全小説作品を一つの総合題名『人間喜劇』のもとにまとめることに決定。この小説群は長短合わせて約90編の作品があり、約2000名の人物が登場する。代表作には『谷間の百合』・「ウージェニー・グランデ』・『従姉ベット』などがある。
 私生活では女性関係も華やかで、中でも重要なのは『谷間の百合』のモデルになった22歳年上の初恋の女性ベルニー夫人と妻になったポーランド貴族ハンスカ夫人である。ハンスカ夫人とは結婚がかなった喜びもつかの間のその5ケ月後にエネルギッシュな生涯を閉じた。51歳という若さだった。
 バルザック残した作品を現在、一日8時間労働で左から右へ書き写す人がいたとして、20年を要する分量だといわれている。その分量は脅威的なものである。

ヴィクトル・ユゴー [生涯]

ユゴーVictor Hugo(1802-1885)
 19世紀前半のロマン派の領袖的存在。フランス東方のブザンソンで生まれたが、のちパリに出る。詩・小説・劇・評論・旅行記・随見録などあらゆるジャンルの作品を残した。
 作品も幅広いが、人生的にも波瀾万丈の生涯だった。初期は王党派だったが、ルイ・ナポレオン(大ナポレオンの甥)が独裁の野望を露わにした頃から、民主主義的色彩を強め、人道的な熱弁をふるった。そのため英仏海峡の小島ジャージー島・ガンジー島に逃れることを与儀なくされた。1870年に普仏戦争が勃発し、ルイ・ナポレオンの第2帝政が崩壊すると亡命生活も終わりを告げパリに帰還。
 日本では小説『レ・ミゼラブル』が有名だが、本国フランスでは詩人としての価値に重きが置かれている。イギリス文学と言えばシェクスピア、ドイツ文学ではゲーテと言われるが、フランス文学ではこのような「高峰」がいないということで、一時ユゴーをフランス文学の代表のようにしようと豪華な全集などが出版されたが、定着しなかった。このことを逆に言うとフランス文学は、アルプス山脈のように平均してレベルが高いという言い方がなされている。劇作『エルナニ』は後世から作そのものの評価はされなかったが、観客を動員し「やんや」の喝采を起こさせ、古典派に「打ち勝った」エピソードはフランス文学史上有名な語り草。以後ロマン派が優勢になる。
 私生活では、妻に不倫をされたり(ただし、自分も愛人をつくり、生涯彼女と共に暮らす)、愛娘のレオポルディーヌがセーヌ川で溺死するという悲劇に見舞われている。生涯を閉じたときにはパリ市民200万人に見守られ、フランス国家に功績があった人が埋葬されるパンテオンに葬られた。

アポリネール [生涯]

アポリネールGuillaume Apollinaire(1880-1918)
 ポーランド亡命貴族の娘を母とする私生児としてローマで生まれた。少年期を南仏で過ごすが、19歳の時母に連れられてパリに出る。
 いくつかの習作的作品を出したあと、句読点を廃した詩集『アルコール』と、当時もっとも革新的な絵画を擁護した『立体派の画家たち』を上梓する。
 詩集は前衛的で現代詩の先駆者と目される。その革新性がのちの詩人やヌーボー・ロマンの作家たちに影響を与えた。「恋は過ぎる この流れる水のように 恋は過ぎる ・・・」 Sous le pont Mirabeau coule la Seineで始まるLe Pont Mirabeauはシャンソンとしても有名。マリー・ロウランサンとの失恋のあとに作詞されたとも言われている。
 ブログ講座「フランス語構文学習講座」で収集した例文は余興のように作話された短編集からのものである。

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